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神戸港から船に乗り与論島まで行ったのだが、二泊三日の船旅に私は甲板の上で陸に上がった魚の状態だった。
ゲロゲロの状態だ。それを見ていた人と後日再会した。
[水を得た魚だね]
この人は東京から来ていた新聞社の方と名乗っていた。定かではないが。
人には自分が居心地の良い場所があるのだろう。私は母が苦手で逃げまくっていた。普通の母親なんだが、その普通がくせ者なんだ。
やたら常識に拘っている。そんな母だから、物事を自分で考えたりはしない。
母との会話は全く記憶にない。私の記憶にはひたすら母から逃げまくっている記憶しかない。
一種の発作みたいなものだ。
今なら、何故か?の問いに理由を述べられる。
息苦しいの一言だね。責任感が強いのは結構だが、それが他人を束縛するまで行くとたまらん。
母と一緒にいると私は船酔いの気分になっていた。
これ、分かる?
船の上って安定していなくて波任せ、船任せ、自分の意志ではいかんともし難い状況にあるんだ。
他人任せの人生もこれと似たようなもんじゃないかな。
母親任せも船任せも似たようなものだ。母は私の幸せを願っていたのだろうが、本当に相手の幸せを願う人は自分を押し付けたりはしないと思う。
[この子にとって何が一番幸せか]と、自問自答するところから、他人も自分も見えてくるのだと思う。
無意識の愛では船酔いになるだけだ。
自分の足でしっかり立てる大地が一番だと思う。そう言う大地は人様々だ。
ただ、言えることはそこにいると、安心感と自己の存在理由が微かに感じれる場所があるのだろうとだけは言える。
人の命の中には様々な形の愛があるのだが、その愛と呼応する場所なりものなりに出会った時、人は穏やかに生き生きした生き方を見いだすのかも知れない。
私はサライのいる店に寄り、好きなソファーでサライを見ながら空想に耽っている時が一番落ち着く。
本当に不思議な子だと感じる。私以外の人間も同じなのかなと思い、店員さんに聞いてみた。
[お父さんみたいに優しいものがふわぁ~と出ている]
サライから放たれている空気は人を幸せにするんだろう。
私の中から溢れるように物語りが生まれるのは、ありのままの私を許された時に思える。
それは札幌で新坂と過ごした時間でもある。
サライと私の関係は非常に微妙だ。私が保護者になったかと思えば、サライが可愛いく[僕が守ってあげるから]とうろちょろする。
うん、確かにサライは私を守っている。私が退屈しないですむように、尚且つ私の好きなソファーに私をくくりつけてしまった。
だけど、ただのソファーにはそんな力はない。ただのソファーを玉座にしたのはサライの美しい心に思えるんだ。
普通過ぎて変わっている。自然過ぎて不思議。
多分、現代人とか文明人が忘れてしまったものをサライは未だに保持しているのだろう。
まさに生きた化石みたいなものだ。
太古から脈々と流れる血を受け継ぎ、途切れることなく命の中に温存している生物は頑固だ。
如何なる時代にあっても人間らしさを失わないのが誇りだとも思う。
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