携帯から書く日々ブログ
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馬鹿は何時までも馬鹿だ。
馬鹿と認識してないから馬鹿になる。 コンプレックスって努力の源かもよ。ただ余りに強いコンプレックスは過ちを犯す。程よいコンプレックスは魅力的にもなる。私くらいの年齢になるとある程度人間性が見えてくる。 成長する可能性とでも言えばいいのだろうか。 難しく考えず一番低いレベルで考えてみる。私が男だったら、と言う過程で、この女を抱きたいか?と心に問いかける。 ペラペラの若さだけが取り柄の女なら、プロの娼婦を買うだろう。口説く手間が省ける。ペラペラを否定はしない。誰だって経験を積んでない時はペラペラだが、そのペラペラが汚い、薄汚れていたら、どうだろう。そこには余白もなかったら今後経験をしたとしても身に付かないのではなかろうか。ペラペラでも美しい白紙であればよろし。花嫁衣装が白無垢なのは[愛する人よあなたの愛で私を染めて、もっと美しい芸術に仕上げて下さい]なんだね。人から人へと手渡される無言の贈り物は命を通してしか届かない。 知識だけなら私は図書館にて本を読む。何となくなんだが、教養は直接その人自身を見本にし、学ぶものに思える。 尊敬出来る人はいないから、反面教師にひたすら頼るしかないのだが、この学び方は非常に孤独を感じる。 (おめぇみたいにはなりたくない!)訳だから逃げながら学ぶしかない。 人間として、如何にあるべきかは、ほぼ書物を読みあさり学んだように思う。それとて、私の中に知りたいと言う欲求があるから心惹かれるのだと思うから、人間の好き嫌いの感覚と同じなんだと思う。出世に興味のある人間はその類の本を読むだろうが、それも最終駅は人間性への回帰に過ぎぬ。愛するものは似姿になると言うのが持論だ。 人間は神に似せられて創られた…そうな。中身は自分が好きにしたらええがなぁと言う寛大なお気持ちを込めて、多分神様は創られたたんだろうが、おっとドッコイ! オーダーメイドなる人間はいない。流行りを取り入れるのは結構だが、中身まで既製品になっとるがな。 如何なる道を通ろうが最終駅はより素晴らしい人間になるに尽きる。 しかるに私には人間としてのただ一つだけの夢か希望か知らぬが、あるのだ。 人間らしく愛されたいと言う単純極まりないのだが、これがなかなか難しい。 何故なら現代と言う時代は人間性を剥奪された化け物しかいない。化け物に愛されたら化け物になる。人間はまさに愛ゆえに変幻自在にその姿を変える奇妙な生物なんだ。 先日、私はある電気店で、見るからに化け物としか見えない女性の店員と話していた。その店員曰わく[ここは動物園だ]他の人間は動物だと言いたかったのだろう。 [動物と化け物どっちが好き?]と聞いた。返事は[動物] あなたはその動物以下の化け物だ。 化け物は動物を上回っているのだが、最早、神様が創られた品性を失っている。人が何故間違う方向に向かうのかと言うと、人間としての基本をしっかり踏まえていないからだと思う。 もし、あなたが世の中は金が全てと考えていたら、あなたから見た魅力的な人間は金持ちだろう。 私は全部持ち合わせた人間なら言うことなしなんだが、そんな人間はいない。 それに近い人間ならいるのだが、私が最も中心に据え置いた人間性が希薄な場合がある。それならば貧しくとも神様が創られたままの美しい裸の幼子を選ぶ。 これはあくまで私の価値観だ。この選択により私自身が不幸になろうが私は一向に構わない。 霊長類として頂点を極めた人間としての私の誇りはマザーテレサのような人間だから。 私は時々思うんだ。生きていて欲しいと願う人はマザーテレサやゲーテと言う偉大な人間なんだと。書物で微かに彼らを味わうのだが、やはりその人の傍らに寄り添いその眼差しからじかに学びたいと。 深い愛は心に宿り眼差しでしか語れはしない。モナリザの神秘は目に宿り、唇は(言わぬが花よ) 生きて見なさい。あなたらしく。 あなたの命が花のように喜びからほころぶなら、あなたはまさにあなた自身の命の中央に座しているのです。苦しみも喜んで飲みほす勇気は愛があるからなのだ。 私は私が愛している神様が私を殺そうと企んでいても逃げない気がする。私が生きていられるのはあなたを信じるが故にだから。 でもせめてものお情けは頂きたく存じます。その優しき心根ならばこそ憧れもします。 PR |
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