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何と遠いのだろう 職場までの距離を自転車で走る 距離の問題では無く、気分の問題だ テンションがなかなか上がらない日がある 走り始めたら苦にはならなくなるが、遠いなぁ、といつも感じる 集団生活に馴染めないのは、今に始まったことじゃない この世界のどこにも馴染めず、一人だったのだと振り返り思う そんな私に近づいてくる物好きたちも似たような人ばかりだった どちらかなのだ 人との関係が煩わしくて自ら孤独を選んだタイプと、社会から落ちこぼれたタイプの両方 孤独を楽しんでいるか、苦しんでいるかの違いに過ぎない 孤独である、と言うことに無自覚だった頃は仕事が唯一の慰めだったように思う 今でもそれは変わらない 誰とも会話すること無く、ただ体だけを動かしている時間に救われている 開き直ったんだろう 私のこの性格をある人はヤクザみたいだ、と言っていた 死ぬことも避けられない人の定めなら、孤独も同じだ 二者択一を常に迫られているように生きている 好き、嫌い、単純に言えばそんな類の選択

時折、賑やかに過ごしている人や学生服を着た集団に遭遇すると、一抹の羨望を覚えたりはするが、それさえ今では感じなくなっている 人間関係の基本とも言える結婚に失敗したからだとも思う
結婚に関してはもとより私の考えに間違いがあったのだ 社会自体が個と個の関わりあいでしかない 家庭はもっと濃厚な個体同士の関わりで決まる 単純なミスを犯した理由は私が馬鹿だった、に尽きる
先日、私は娘と電話で口論をした 娘の言ってることも正しいと思う 人を馬鹿呼ばわりするのは私自身も嫌いだから分かる だが、私の父親を思い出す ついでに別れた男も
私は父親から一度たりとも人の悪口を聞いたことがなかった そのせいか世の中の人は善人の集まりのようにさえ思うようになり、人間を正しく見ることが出来なくなっていた 別れた男にしても同じだった 二人に共通した部分があるとしたら、人間の中にある闇を見ずに上っ面だけをなぞって生きてきたような感じがする 知った上で許すのと知らずに許すのでは違うのではないだろうか 知恵遅れでない限り人は闇を抱え、闘いつつ日々を生きている 克己心は己に打ち勝つを意味する 戦う対象は人間の中にある 私自身の中に 神同様、敵も私の中にあるのだと思う 内的な闘いを放棄した結果が父親であり、別れた男なんだろう それは職場でもよく見る光景だ 人の悪口しか言わない人も父親と同じなんだと思っている 父が語らなかった闇の被害者は家族だった そうすることで彼は心のバランスを取っていた 自分自身で引き受けない限り消えない苦しみがある 父が最後に味わったのは孤独ではなく、空虚だったのではないだろうか 自転車を漕ぎなが
ら、宇宙に向かって旅をするのも気分転換だ、そう思うと違和感が気分転換に切り替わる
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