携帯から書く日々ブログ
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君の眼はジュピターの稲妻、その声は恐ろしきいかづち、されど怒りだに伴わずばそは音楽にして美しき炎。
シェクスピア、恋のからまわりから。 私はヘレン、ケラーが好きなんだが、彼女の耳と眼が不自由にはそれなりの理由があるのだと思っている。彼女の魂を汚すものは全て取り除かれた。 アニー、サリバンがヘレンの養育者として抜擢されたのは偶然ではあろうが、サリバンはヘレンをこよなく愛していた。ヘレンが美しい魂を保持し続けられたのはサリバンであったからこそに思える。魂は住処を定め鉄の扉を閉める。 外部からはビクともしない扉は相応しい人間にしか開かれない。恐らく、サリバンが養育者として認められたのであろう。不屈の意志を持った存在がいる。 それが最初に書いたような人間性でもある。あの文章の後に[天使なる君よ]と続くのだが、まさにヘレン、ケラーは天使のように清らかであったとサリバンも語る。 ヘレンの魂の美しさは[天を讃えて歌う声のかくも地上の声なるを…] 魂を清める為に人は様々な修行をする。滝に打たれたり、断食をしたり、極限まで肉体を追い詰めた時に人間の内なる神が語るのだと知っている。 ヘレンは生まれ落ちたその日から神と共に過ごしていた。アニー、サリバンはヘレンを外の世界へと導く為の案内人として適切な人物として選ばれたように思う。 魂の保持者として白羽の矢が当たった人間は人里離れた場所に住むのが習わしになっている。俗世界からの隔絶に寄って保持を可能としているが、中には環境では無く、先天的に保持可能な条件を備え生まれ来る者がいる。見ざる、言わざる、聞かざると言う状況下は魂を保持するには好都合だ。 口は災いのもと。情報過多は自己喪失のもと。形に拘るは本質を見失うもと。 教養とは魂と外の世界のハーモニーからなるものに思える。美しい調べは相応しいものに出会った時に[そは音楽にして美しき炎]になるのであって、邪気を孕んだものにとっては[君の眼はジュピターの稲妻、その声は恐ろしきいかづち]と変貌する。 いずれにするかは自らの命に問いかければ良い。 [学ぶ者その道を捨て、書を捨て君の眼を読む] 深き眼差しに邪悪な魂は宿らぬが故に。アインシュタインは幼少期に自閉症と言われている。最もこの話は視野の狭い人間が下した判断だ。当てにはならないのだが、アインシュタイン自身が[時間と空間に付いて普通は子供のときに考えるものだが、私は知能が遅れていたため大人になってから考え始めた]と語っている。 思い込みのない精神と心から飛び立つ未来がある。 PR |
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