携帯から書く日々ブログ
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この二人がコンビを組んだら無残な結末が待っているような気がする。まず、今の世の中では生きては行けまい。
こんなことを考えていると、ふっと昔の相棒の新坂を思い出す。 私が自由でいられたのは新坂のような人間の前であったからこそのように思う。多分、彼は感情の激しい気質だったのだろうが、私と言う天然ボケが傍らにいたから理性的でいられたのかも知れない。 両方を行ったり来たりはしんどいものがある。 新坂と私の関係はいわば子供と大人の関係だったのだろう。人間は自分の優れた部分とバランスを取れる人を選ぶのかも知れない。 今では新坂の記憶もただ優しかったとしか残っていないのだが、彼が私を見守るように育ててくれたのは事実なのだ。 [昔のまんがだったら感じたままに行動していただろうね] それが出来たのは新坂が見守ってくれていたからだと思うし、新坂の中には殺したくないのだが、出せないものがあったのかも知れない。 感情的とはまた違うのだと私は思う。 そう言う感覚を私はサライにも感じることがある。 新坂やサライくらい強い人間ならば自分の感情を他人に代弁してもらう必要もないのだが。 野球で言えば、投げて、受けてをする訳だ。これって寂しいんだよね。 両方出来るんだが、寂しくなる。両方出来るから寂しいのか、どっちかは知らないんだが。 サライを見ていたら私と同じなんじゃないかなと思ってしまう。 多分、サライも新坂も私の自由奔放さを楽しんでいるのかも知れない。そう言うものに振り回されない強さがあるから楽しめるんだろうね。サライは私のことを[君はストレートなんだね]と言っていたが、私は感情を殺してまで生きていたいとは思わないんだ。 感情ではないのかも知れない。何となく感情とは違う感性のようなものかも知れない。面白いことをやらかす感性のようなものが私の中には子供の好奇心のようにムズムズと蠢いている気がする。 PR |
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