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[考えるのも面倒くさくなって]
最近の母は鬱の気がある。年老いてから何かを考える習慣の無かった者には余計に辛いのかも知れない。
常識と平穏無事だけが母の求める安らぎだったように思う。私と母はよく喧嘩になったのだが、母はすぐ泣いた。
私を理解しようなどと考えもしない母から見たら厄介な存在だったんだろう。親子だからこそ出来ることさえ母は面倒くさかったのか。私は娘とはしょっちゆ喧嘩をするのだが、それで終わらない関係があるから出来ることがあるのではないだろうか。
私は母に聞いた。
[何が一番嬉しい?]と。
出掛ける訳でもないから服もいらないし、食事もそんなにいらないと言う。
人に気を使うのが嫌いな人だったから、昔からの付き合いを大事にしてきたのはいいが、大概の人が母と似たような人間だから、話題は当然互いの知り合いの話に終始する。
母にもだが、自分の考えと言うものがない人が多いように思う。
その人らしい発想とでも言うものがあれば人となりを楽しい書物のように読み説く喜びがあるのだとも思う。
世の中の常識は人として当たり前の知識であって、そこに個人として付き合うような魅力はないと私は思うのだが、常識さえ知っていれば生きて行けると安易に過ごしているとつまらない人間になり、老後は平穏無事を通り越して退屈なだけになるのだろう。
今更、母に言ったとてどうなるもんじゃない。
人は老いて死ぬ定めであることをほとんどの人が知っているのだが、処方箋を持たないままに老いてから痛感する。
逃れられない定めならそれに勝るものはないかと考える。
死ぬほど誰かを愛したら死は安らぎにしかならない。でもそれでは愛する意味がないのではなかろうか。
穏やかで生き生きとした愛し方が理想に思う。それにはつまらない書物では無く、理解したいと思える存在になることではないだろうか。
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