携帯から書く日々ブログ
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残念ながら親を選び生まれてくる子はいない。私はその辛さは十分味わったので、出来たら好きな人くらい自分の意志で選びたいと言う願いが無意識にあった。ところがこれがまた大変なんだと気付かされたのだ。私の一方的な選択で決まる訳ではない。相手の意志もあるのだから、結局[あのぉ~私を好きになって頂けないでしょうか]と言う非常に遠慮深い思いを持ちつつ相手の反応を伺いつつ、[おっ!いけるかも]
一喜一憂の状態だなぁ。こんなしんどい思いするくらいなら最初に会っていたのに何故気が付かなかったんだと悔やまれるのだが、それが確かだと言う確信が持てるのも最初の出逢いが無意識の中に刻印として残されていたからだと思う。 親に愛され育った子は同じ人を選んで正解になるのだろうが私の場合は親があほんだらだから、親からは何の刻印も無い。その辺りは自由に選択が出来て良いのだが、めちゃくちゃ迷って辿り着く羽目になる。体力がなけりゃ出来ない。 因みに私の条件は単純極まりない。純粋に愛する人なんだね。 ブスのくせに何言ってんのと言われそうだな。そのことがコンプレックスになっていたから、謙虚にもなれたかもね。 人間として死ぬまで愛し続けることが可能な人はどう言う人かが分かってくる。一人しか選べないのなら死ぬまで愛すると誓える人でないと困るのよ。 結婚やセックスは別。好きでなくても世の中のプログラムに一応従うのが筋、なんちゃって。 セックスは本能だから、好奇心もあるかな。 [どんなんかな?] で結論、セックスも結婚も心から好きな人が一番素敵なんだね。私のは後悔から生まれた宿命みたいなものだ。 あの親だから私がいるんだが、迷子になった分視野は広くなる。様々な愛の形を経験すれば豊かになる。 私もそうだが、たまには甘えたいと思うのだが、相手の懐が狭いと甘えられないものだ。様々な男性を見てきて、いつも頑張って男をしていりゃ疲れるだろうなぁと思う。 たまには子供に帰りたいんじゃないの。私はそう言う男性を何人か見てきているから分かる。 でも好きでない人が甘えてきても困るんだがなぁ。 甘えるのも一方的ではないのよ。甘えたいと願っていても、抱きしめたくなるほどの愛おしさがなければ、誰も甘えさせてはくれない。 心の中には様々な渇望がある。一人の人でまかなえたら一番だけどね。 私の中にも様々な人格がある。全員総出でなくちゃ経験が勿体ないよね。 出来ないから人は欲求不満になる。 PR |
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