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子供を産み死んでいくだけなら、何故人間に精神と言うものが備わっているのか。
未来を見通す意識を持ちながら死を恐れる。逃れ得ぬものなら死に勝るものを獲得すれば良いではないか。
私の知る限り周りの人間は死を恐れている。無知は恐怖の源、不幸の源。
どうしょうもないことやどうでもいいことに拘っている。
私が嫌いな人を思う。好きな人は限られているから、統計が取れないのだ。
視野が狭い、意識が浅い、認識が曖昧、執着心が強い、権力に弱い。挙げたらきりがないのだが、トドメはだらしないに限る。
昔の私は人間はみな平等と考えていた。いずれ精神的に同じレベルに到達するものと考えていた。誤診だった。
教養のない人間との生活は不幸の源。
想像力の欠如は他人に対する思いやりがない。ないものばかり求めるから常に欲求不満。明日生きているなんて保証はないのだから、今日を楽しむと言う発想は無く、ひたすら老後を考え金を蓄える。老後なんて考えなくてもとっくに死んでいる。自覚のない死人もいる。口ではみな偉そうに言うが、実際にその人間性を見ていて、滑稽極まりない。
私は現実の中で何人かの優れた人間に会っているから言える。私が求めていた人間性は幻ではなく、実存するのだと。
精神的未熟児と話しているとイライラしてくる。
まず、気分にムラがあるのが特徴だ。周りのことも考えず気分次第。そこに一貫性があれば端の者は理解してくれるだろうが、一貫性がないからひたすら気分を伺う羽目になる。
一貫性のない自己に対する無意識の不安から常識にしがみつき、柔軟な考え方が出来ない。
今日も職場でムカついた。不完全を認識している人間は謙虚だが、傲慢な人間には謙虚さが全くない。こう言う人間が躾と称して虐待をする。
私は幸いだった。親を認めていなかったから尊敬出来る人間を探し歩いた結果、実物と会うチャンスを頂いた。
私の中に自覚は無かったが無意識の中に持っているものに気付いてくれた人がいる。私が探し求めていた人間の中の神とは不完全な神としての人間だ。
自分を完全だと自認する人間は醜悪なだけに過ぎない。
社会的に成功したとしても人間性において未熟児では哀れだ。両方あれば恐れるものはない。
片方しか手に入らないのであれば人間性を取りたい。
私に改めてこの意識を呼び覚ました人間がいる。時を超え不屈に語りかける声は姿を変えなお語りかける。
異なる人間の中に同じ人間が宿っている。永遠の私の憧れとしての人間性が私を見つめる。
出逢いは全て偶然に過ぎない。互いに惹かれ合う者がいる。その命の中に人間としての高見を目指す者がいる。
今なら私はすぐ見抜くだろう。純粋な神の子を。
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