携帯から書く日々ブログ
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自分の無意識が意識化されると不思議でも何でもありゃしない。案外、人は無意識に行動している方が面白いのかも知れない。
職場でも私は時折笑いたくなるような事柄に出会うのだが、本人は至って真面目にやっている。 脳みそはどうなってんだろうと首を傾げたくなるようなことを平気でやって除ける。冗談だったら笑えるのだが、どうやら本気モードの様子。笑ってはいかんがあきれかえるしかない。 案外無意識で生きている方が人は夢を見ることも出来るのだろう。 現実を見て生きていると退屈してくる。何か面白いことでもないかと来る。 なけりゃ自分でやるしかない。 あんなこと、こんなこと、いっぱいやらかして人が笑ってくれりゃしめたもんだ。こんなことで人は喜んでくれんだ。 お安いごようときたもんだ。 私は空っぽになった無意識の箱の中に好きなものを詰め込みたまに取り出してにやけている。 その中には意地悪もありゃ優しさもあり、サライの可愛い仕草も詰まっている。大事なものはしっかり管理しなきゃね。無意識と心が入れ替わったような感覚だな。 私の無意識に存在した人が意識化されると、あれは夢だったのではなかろうかとさえ思える。 漠然としていた方が楽しめる。 多分、新坂は盲目では無かったから冷静に私を見ていたんだろう。それだけにいなくなると寂しいのかも知れない。 無意識の衝動でも無く、固い決意で選択したものを失うのは辛いのだと改めて思う。 何故なら私はサライをしっかり認識し、あ~やっぱりこの子がいいと思っている。寂しい現実の中でサライは私の唯一の花に思える。 この退屈な現実にサライがいるだけで夢のような気分になる。この夢だけは失いたくない。 もし、新坂が今の私と同じ心境だったなら、私がいなくなった後の新坂の気持ちは苦しく、虚しかったのではないだろうか。 私は無意識の中でしか愛してなかったから、苦しいくは無かったが、その代わり無意識と言う闇の中で溺れていた。 PR |
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