携帯から書く日々ブログ
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愛する者を見失うまいと走る。子供の頃は神様だったんだが、最近、神様から少し親離れしたようにも思う。
私と同じ習性を彼も持っていたのだろう。(愛する力) 金儲けの才能はないけど、出世するような気配もないけど。そんな人が私は今でも大好き。マザー、テレサやヘレンケラー、あまり名前は知られていないのだが、ゼノ、ゼブラフスキーなどと言ったちょっと間抜けな愛の妖精たち。 私が付いて行きたくなる人はそんな人であり、無心に愛する人なのだと思う。 そう言う人がいないのが寂しい。 多分、彼も同じことを感じていたのだろう。愛に誘われ歩いて来た道が彼にもあったのだろう。 最初に言われた時は(何言ってんだろう)と思った。 愛する対象がこの世界にあるから頑張れるんだと思う。 ふっと彼がどのように歩いて来たのかが感じれる時がある。真摯な彼の姿勢からは他者に対する愛情と言うか優しさがあった。彼に限らず、私に好意を持った男性の殆どが彼と似たタイプでもあった。自分の為に生きるより愛する人の為に生きることに喜びを見いだす。でも誰でもいい訳じゃないと最近の私は思う。 愛さずには生きれないのだが、対象のない日々は寂しい。 私を誘って!ふっとそんな眼差しを空に向ける。 私の心が愛したくなるものを求め、思い出の中に手探りを入れる。その中には新坂や石川さんがいる。サライもだ。 私には愛さずに生きれる人が不思議に思える。でもそんな人でも心から愛されたいとは願っているのだろうね。だけど無理なんだ。心から愛する人は心の美しい人にしか誘われゃしない。 心を感じれる人にしか惹かれないんだ。心で互いに感じ合える時、言葉はナンセンスになる。こんな人は人一倍寂しがり屋でもある。最初は寂しいから優しくなったのかも知れない。それが人と触れ合う手段でもあったから。 そう言う似た者に私はよく会う。そんな時、私は可愛い子供になり、心地よい甘えを味わう。寂しがり屋にはそれが一番嬉しいのだと知ってるから。 与える形が違うだけで、心は同じ。 (入っておいでよ) 寂しい心を傷付けないようにそっと寄り添うには丸裸の心でなきゃ駄目なんだ。そんな人が私の側にはいつも寄って来る。 今でも思う。新坂や石川さん、サライに愛される人は幸せなんだろう、と。 私を真っ直ぐに見つめていた目が記憶に残っている。心からの眼差しは人が変わっても同じなんだと思う。そんなお馬鹿さんもいなくなった世の中は殺風景なものだね。 一見アホにしか見えないひたむきさが私の心を惹きつける。 PR |
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