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腹が減っては戦は出来ないのと同じ。自分が幸せでないのに人の幸せの心配なんて願える訳がない。幸せに確固とした形があるんじゃないんだ。そう言うのを探すのがうまいか下手くそなだけに思える。私はクーラーのない生活をしているのだが、職場に行けばクーラーが入っていると言う理由だけで楽しみに通っている。便利さは人間に際限なき甘えを提供している。それが高じて欲求不満に陥り易いのじゃなかろうかとまで思う。
車も乗らなくなったのだが、あれはカッコイいのだが肉体が弱体化するもとだ。年を取るのではなく、重ねなくては何の意味があろうか。
(年だから…)
そんな分かりきったことを今更口にする気にはならない。
老いて死んでいくのが生物の定めなら、揺るがぬ定めなら、闘志を燃やすには好都合の対象にしか思えない。
常に闘う対象があれば活力は自ずと湧き出てくる。
取り敢えず今日愛せるものを探す。明日はまた違う愛に出会えるかも知れないから、今日1日凌げるだけの幸せを探し、心を満たしたい。
空腹だけが辛いのではないのだよ。無感動になった心は空腹以上に苦しい。
そんな気分では幸せなんてみつかる訳はない。
好きで苦労したんじゃないけど、いつの間にか越えた峠がある。ささやかなことにも感謝出来る自分はいいものだ。
文句ばかりの人生は幸せより不幸が寄って来る。そう言う人に会うと悲しい人だなぁなんて心が呟いている。
その人から今日、私は妙なことを言われた[人慣れしてる]と。逆なんだ。
人を尊重するからそんな風に見えるだけ。自分とは違う人間なんだと思うから優しく接したいと言う気持ちや思いが自然と人と人を結んでいくのだと思う。
だけど最近、誰をみてもサライではないと寂しく思う。サライとは明らかに何かが違うのは分かるんだが、分析出来ない存在がサライなんだろう。優しくはなれてもサライを思うほどには心が動かない。多分、サライと過ごした時間は特別な時間だったんだろう。
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