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好きだと意識した頃からある程度の覚悟はしていた。喜びだったものが苦悩に変わる。それらの苦悩が現実を耐える力に転換されていく。
他人の心をコントロールする気はないし、コントロールされた心を欲しいとも思わない。
サライを愛する気持ちは言葉にはならない。仕事場で黙々と仕事をすることで何とか苦しみから逃れている。
恋愛は人を幸せにするためにあるのではないように思われる。私の命の深い部分に向かって私を歩ませるためなのではなかろうかとさえ思う。そう言った予感はサライに逢った瞬間に何度も感じていた。空腹や空虚も辛いのだが、人を愛する心は切なく悲しい。いかんともし難い苦悩に苛まされる。
命の最も深い部分には純粋な願いがある。子供の頃はただ生きていたいと純粋に願っていたのだろう。それは肉体の切なる願いに思える。
愛する心はまた違うのだが、共に人が生きて行く上での命賭けの願いに思える。だが、何故かサライに愛されるために私は生きているのではないとも思う。
今回のことは私が生きて行くためのエネルギーになっている。苦しみも深ければ生きるエネルギーになる。誰にも打ち明けられない苦悩に喘ぐ者なら皆一度は味わったであろう。
あらゆる出来事から引き起こされる苦悩を如何に使うかは私の生き様にも思える。今更、サライから愛されようなどと言う期待は全くない。愛してはいても求めてはいない。
人間が最も不安に陥るのはどっち付かずの状態に思える。死ぬ覚悟をしてしまえば楽になるのだが、皆、中途半端だ。サライに対しても同じだ。好きか嫌いかハッキリしない状態で人を振り回すような人なら、自分の心一つで決めたい。
私はサライを愛している。それだけだ。後はサライの好きなようにしてくれ。
サライがどんな気持ちでメッセージを記したのか知らないが、単なる気まぐれだと思っていたい。
一時ではあったがサライから好意を持ってもらえた自分を誇りに思っている。過ぎてしまえば楽しい思い出になる。それにこんな素敵な人から見つめられたんだってのも今後の生き様に勇気を持って挑めるんだよ。
今は死ぬまで闘っていたいとだけ願う。他人とじゃない。自分とだ。
人は恋愛で自分を見失うけど私は逆だ。過ぎ去った人を振り返りながら、感謝でいっぱいになる。
何かになりたいとは思ったことはないが、素敵な人に見初められたいとは思っていた。そう言うのが自分への自信に繋がっている。私は単純なんだ。
若い時からなりふり構わず生きてきたけど、私が好きになる人もそんな人だ。
カッコつけない生き様が一番素敵だ。
オマケ!サライのことを[今時にしては珍しく男らしい人だね]って誉めてくれた人がいる。
私が愛した人はみんな素敵だ。
生きて行く勇気をくれる人に会えた幸せってのもあるんだ。サライじゃなかったら楽勝だったんだけど、他の男じゃ意味無かったんだろうね。ヤバい相手を選んじゃった!
後悔先立たずって言うんだが、後悔なんてしてねぇよ。こんな経験出来るだけでも人間として最高だ。
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