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心のどこかで死ぬまで離れることのない関係に憧れていたのは事実で、気がついたら腐れ縁のような関わりにどっぷり漬かっていた 見えるのは絶望と死だけの現実に寂しさからしがみついていた そもそも私がここに帰ってきたのは弟同様死に場所を求めてのことだったのだから、期待外れの現実ではなかった 残念なのは弟のように潔く死ねなかっただけでしかなかったんだが
自立と盛んに言われる それは単に自分で働いて生活できることであることは言うまでもない 生きるためにだけならいくらでも道はあるのだと思う 世の中に自分がやりたいと思えるような仕事に巡り合える人は幸せだ そう言う人は生きることに苦痛を感じたりはしないであろうし[長生きには興味ない]などとは決して思わないのではなかろうか 私のようにこの世界に何の価値も見いだせない人間にとって生きることの意味を見いだすことの困難に見回れることなどないのだろう そう言う意味では社会で活躍している人を羨ましいとも思うのだが、同じことをしたいとは思わないんだ 好きでもないことをするのは性に合わない 私が[我が儘]と言われるのはこんなところからきているんだろう
心から動かされない限り真剣に取り組めない性分ではある 仕事をする上で選り好みはしないのだが、それはあくまで自分が生きていたいと言う意欲があってのことで、その意欲が無くなったらこの世界には未練は持たないだろう 僻みでも何でも無く確信を持って言える 私はこの世界にあるあらゆる業種に何の興味もないのだと 業種には興味がないのだが人間には興味がある 今の時代ほど業種と人間性が分裂した時代はなかったように思われる 肩書きが彼らの人間性の証明にはなっていないのは痛切に感じている 多分今の世の中が必要としている人間の育成と本来的な人間性の食い違いとのズレが大きくなっているのだろう 社会は人間を必要とはしていない 人間らしく生きたいと願う者は社会から外れた場所で獣のように身を潜めているしかないのが実情だ 何者でもない社会の記号に過ぎない存在になるより孤独な一匹狼を選んだのかも知れない 世の中と腐れ縁しか築けない個人に他者が存在するのだろうかと疑問にも思う 寂しさから人は何らかの関わりを持ち生きていたいと切に願って
いる 誰かと何かと繋がっていたい その心理を踏まえた上で私はキッパリ社会そのものを否定する 腐れ縁からは未来への希望は生まれないからだ 社会は人間を必要とはしていない
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