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新坂とサライは同じ体質だった 偶然の出逢いとは思えないくらい二人には共通した部分がある 体型的にはマッチョなんだが、それはスポーツに適した体型とは違うのだと思う 何と説明したら良いのか分からないのだが、サライから感じるのは愛と情熱みたいなものでしかない
アダムとイブが誕生した時に男と女は互いの半身として、形の上で肉体と精神に分離されたのだろう 女が男を内面から支えるように男は外界から女を守る役目を担ったのではと思われる 世界は内的なものと外的な世界から成り立っている 新坂やサライが私に見せた姿は太古から受け継がれた意識の現れに思える
私と新坂の関係は正に子供と保護者のような関係にしか思えなかったのだが、本当の意味は違っていたのかも知れない 私の中に新坂はイブを感じていたのではないだろうか 私がサライにアダムを感じているように(守りたい存在)としての太古的なシンボルのようなもので、そのシンボルが男の本能を目覚めさせる役目を担っている 私はサライに逢ってから多くの男性に接しているのだが、彼らは明らかに男性ではあるのだが、男としてのシンボルではないのだと感じている 忘れてはならない男と女の原型があるように思える 新坂との関係に付いては今では憶測でしか語れないのだが、あの時、私と新坂が結婚していても子供には恵まれなかったのだと思われる そのために巡り会ったのではないのだと言う感覚はサライに逢ってから感じている 男と女の役割分担が曖昧になっているこの時代に本来の互いの存在意味を知らせる必要があるのではないだろうか 単なる妄想であるのかも知れないのだが、サライと私の間に流れるものは太古から流れきた神秘の力を目覚めさせたように思う 本当の男の本
能は闘争本能なんだと思う 愛する者を守りたいと言う思いと信念に貫かれている それを失った男はもぬけの殻に過ぎない 女もしかり 互いに異なる存在ではあるが離れ得ぬ関係がある 相互理解は世界への理解の在り方も示しているのではないだろうか 異なる性として尊重する姿勢は世界のあらゆるものへの相互理解に繋がるようにも思う 互いが必要を認識したなら争う必要などなく、極自然に手を差し伸べあえるように思う 何故なら、愛する者の苦しみは私の苦しみなのだと言う認識の拡大でしかないからだ
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