携帯から書く日々ブログ
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人生は苦難に満ちている。避けては通れない苦難の数々が待ち受けているのだと覚悟した時、誰を相棒に選ぶかとなる。私は幸せになれるから選ぶのではない。この人となら地獄さえ歩けるであろうとの確信が持てるからだ。恐らく私が最も苦しい時に愛する人を避けたのにはそんな思いが入っている。苦しい時の神頼みでは神様も呆れるだけだろう。
私は寂しがり屋だと自認しているのだが、甘ったれた狡い人間と分かち合う気にはならない。その類の人間が無意識に思っている心は醜いだけで愛せるものではない。 神様は人の心からの願いを知っているから叶えてくれるんだが、大概の人は目の前に出されたガラクタに不平を述べる。[私はこんなものを願っていなかった]いやいや、あなたの心に相応しきものとはガラクタではないのか。 捧げた犠牲はちょいとだが、望みはドデカいではバランスが取れないじゃろうが。私に愛されたかったら生き方で示しなさい! これはある人に向けてのメッセージだが、今更手遅れな気もする。過ぎ去った時間は帰っては来ないのだ。残された時間はせめて自覚するために使って欲しいものだ。誰からも愛されなかった人間こそが哀れなのではない。誰をも真剣に愛さなかった者こそ哀れなのだと。 死ぬほど愛しているなら、死んだ気になって生きるのが本当なんだが、死ぬほどの苦しみにもがいているだけの輩は暇人でしかない。 苦しみもエネルギーに変えるだけの頭がなきゃあかんやろ!地獄は歩けんのじゃ!好んで歩きたい訳じゃないのだが、そのくらいの心構えを持って人を愛するならば何かを得ることも可能なんだと言いたいだけだ。 愛されているから愛するのはガキだ!大概の男が愛される見込みがないと知るや手のひらを返したような態度に出るのだが、見返りを期待した時点でアウトになる。 私が見ているのは人間としてのあなたの姿勢でしかないのです。そのあなたの生き様を愛するならば欺かれたりはしないであろうし、後悔もしたりはしない。偉くなれ!とも思わない。そう言うのは他人がくれるもので気まぐれなものでしかない。他人の賞賛に一喜一憂しているのはかえってみっともないのだとも思う。それは自立とは言わないんだ。 苦しむ覚悟があるかどうかは自分の心に尋ねたらいいさね。[芸術家は家族(愛する者)を不幸にする]不幸と感じたならそれは愛してはいないのだとしか応えられない。真の愛が恐れるのは不幸では無く、愛する人を失うことでしかない。 PR |
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