携帯から書く日々ブログ
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人には理想の家庭や人との理想的関わりを求める心理がある。特に私にはその傾向が強いのだろう。どんなに素敵な人であろうが、理想的な関係を築く可能性が見えなかったら未練もへったくれもない。[おまえは男に惚れる女じゃない]そうかも知れない。そんな自己中心的な人と過ごすだけ時間の無駄に思えてしまう。家庭も一つのイメージから生まれてくるのだから、相手が持っているイメージとの距離感がありすぎるのはどちらかの意志を踏みにじることになりかねない。何事も自然体を重んじる。誰かが誰かの犠牲にならない生き方が理想なんだと思う。
私は家庭にも家族にも恵まれず、いろんな人から私には家庭運がないとよく言われた。今、振り返ると確かに血の繋がった関係は私を苦しめるだけでしか無かった。恐らく家族と言うものは理想を基盤にしているのではなく、強固な血の繋がりが全てになっている。脈々と続く伝統的な家庭が良きにつけ悪しきにつけ流れている。 (私の代で断ち切らねば…)と漠然と考えていた。断ち切るものが何であるのかさえ分からずに、断ち切る必要のある何かがあるのだと感じていた、 澱んだ空気が我が家には立ち込める。その匂いを嗅ぐ度に空気感染と言う言葉が浮かぶ。いつの間にか空気のように常識になった日常がある。その中で人は静かに死んで行くのかも知れない。 敢えて空気を読まないのにはそんな心理がある。(こんな空気の中で人は生きては行けない) 死にたい奴は勝手に死ね!死人と関わるなんてのは時間の無駄だ。 こう言うのを読み返していると妙なことに気付く。[男に惚れる]とは自惚れた野郎しか使わないセリフだ。こう言う輩が女にモテたりすると傲慢になり、さも自分がいっぱしの人間になった気になる。他人が尺度になった人間は脆いんだよね。まっ!私も昔はモテる=いい女?と言う意識がなきにしもあらずだったんだが、寄ってくる男はカスばかりだ。 この感覚は本の題名と作者のみを記憶し、内容を理解していない虚しさに通じている。この手の技工に騙される輩には自己理想などと言う高尚なユートピアはないんだ。相手は適当で構わないのだと思う。 PR |
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