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子供が生まれた時だった [私から変わろう]そう思った ゴミ問題に関しては今でこそ当たり前になり、少しずつ人々が気をつけるようになった 全ての考えは意識的ではなかった 漠然とした未来への不安のようなものでしかない 私が子供にしてあげられることは地球を守るために何ができるか、だったのだと思う なかなか変わらない群集の中で表面上は同意しながら無意識は異議を唱えていたのかも知れない
長距離ランナーのコリンの復讐は群集の期待を裏切ることだった それは偽善に満ちた社会への孤独な復讐劇 悲しいかな、私はコリンのような人間がたまらなく好きなんだと思う 破滅すると分かっていて敢えて歩くコリン 因みに破滅と破綻のどちらかを選べと言われたら私は破滅を選ぶ 群集に迎合するだけの人間はいずれ内部分裂を起こし破綻するしかないのは火を見るより明らかな事実だからだ 集団自殺は好きじゃない 人間の本能には自己保存が組み込まれているのは誰でも知ってると私は思う 人間と動物の自己保存との違いは何かを考える 動物は肉体そのものの遺伝子を残すことなのだが、人間は精神、魂、心など目には見えない情報を伝達したいと願っている しかし、現代はこれらの人間だけに許された特質をことごとく失いかけているのではないだろうか ここで私は手塚治虫の火の鳥に出てくる様々な人間像を思い浮かべる 手塚治虫が描く人間像は群集から外れ独自の道を喘ぎながら模索する そこには人類を救おうなどと言う意識はないものと私には思われる た
だ、特別な人間だけが人類の過ちを許せず自らを正しつつ歩いているだけに過ぎない 彼らにとっては幸福以上の価値がそこにはある 手塚治虫に限らず様々な人々が人生に問いかけていた問題は未だ解決の糸口は見つかってはいない 何故なら彼らは目先の幸福に躍起になり真に命を満たすものが何であるかを知らないのだから仕方ない 目に見えない意識が社会を作り人間を育んでいるのだと気付いたなら、自己意識の改革こそが優先されるべき事柄であるのだと知るだろう ソクラテスの言葉で言うところの[汝自身を知れ]に尽きる 社会の変革は個人レベルからしか起こり得ない
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