忍者ブログ
携帯から書く日々ブログ
[1911] [1910] [1909] [1908] [1907] [1906] [1905] [1904] [1903] [1902] [1901]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

アランやラッセルの説く幸福論に異議はない 最もだ、と頷く
だが私は人から同情されるのが嫌いで幸せなふりをしてきた自分を悔やんでもいる もし、私が自分の心を正直に見つめていたなら私は違う人生を歩いたであろう 新坂と…幸福など求めはしなかったのだと思う ただ愛する人が私の傍らにいる、そのことだけが私には意味があるのだと思える アランやラッセルの言う幸福論は気持ちの持ちようでどうとでもなる問題に関してでしかない 自分があっての話 私は私一人では生きれないように生まれついたのかも知れない 札幌で新坂に会った頃のことを思い出す 極自然に私たちは寄り添うように歩いていた、としか言えない 見えない何かが互いを惹きつけ合う要素が何であるかは分からない
札幌のアパートで新坂に初めて会った日のことが微かに記憶に残っている 私はさして意識もしていなかったのだと思う 新坂がどんな気持ちで私を見ていたのか知らないうちに私は新坂と歩き出していた 意識することもなく 恐らくあの時点では新坂の一方的な好意に過ぎなかったのかも知れない 大切な人…と私が意識したのはサライに会ってからに思う 私にもし魂の片割れがいるなら同じ魂を持った人間なのだとだけは感じる 新坂と別れた時私は何も気付かなかった 魂の片割れとも言える存在を失うことが生きてる意味さえ奪うのだと ある時点まではアランやラッセルの幸福論に賛成もする その通りだとも ただ、そこから外れた人種がいるのも確かなのだ 幸福ではなく命への問いかけなんだと思う 神は私に苦しくとも生きよ…常にそう言い続けたように思う その度に私は疑問を抱いたのだろう 今なら私は断言できる 新坂、あなたに会うためだった、と サライ、あなたの笑顔のためだったと 二人の異なる人間に宿る魂は姿は違っても同じ
ものだと私の細胞が語る 私の中に宿る魂は私が死のうと再び、いや、幾度となく生まれくる 私は魂の衣装に過ぎない
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[05/17 backlink service]
[02/04 オトナの即愛倶楽部]
最新記事
(04/22)
(04/18)
(04/15)
(04/14)
(04/14)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(06/24)
(06/25)
(06/26)
(06/26)
(06/27)
アクセス解析