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[この世には、メランコリの会とでも言おうか、ある秘密結社がある。
生まれながらにして普通の人より高慢な精神を備え、激しい血をたぎらせ、より高みを目指し、突き進む者である。
胸は熱い息に灼かれ、普通の人よりもはるかに強く燃えるような情熱に突き動かされる]
これは多分ゴッホの本に書いてあったのではなかろうか。
私は書物の物語性を追う気はないので、いつでも気にいった箇所だけを抜粋し残している。その言葉の意味がしっくり来ないのだが、何となく気になると言うような言葉だけを抜粋し、そこから広がる私だけの世界を楽しんでいる。
一人遊びみたいなものだろう。
時を超えて語りかけるメッセージとして単純ではあるが、子供が産まれた時私は生きていないかも知れないと言う不安を抱いた。未来は闇の中にあると私は常日頃思っている。
その中にあって言葉は闇を行く人へのほのかな愛と言うランプのようなものなのだろう。
言葉は愛する者へ、今後も生きて行かなくてはならない者たちへの贈り物に思える。
私は書物を手にする時、年代を見る。1500年代に書かれたメッセージが今なお色褪せること無く語りかける。
出来ることなら、書物からではなく、その人自身の傍らに跪き、眼を見つめ無言で飲み干したいのだが、それは叶わない。人間に与えられた時間には限りがある。限りある時間を使って、少しでも多くの人に届けたい思いがあればこそ、何千年の時空の壁をも高速で打ち破る威力になる。
私個人としてはマザーの遅々とした歩みの後から生まれくる言葉が好きなのだ。また、マザーのように行動の人でありたいと願っている。
私にはマザーほどの信仰心がないので、マザーが言われる言葉の意味をそれに近い場所において確かめるしかなかった。マザーが如何なる気持ちで貧しい人々に接していたかを、病院に勤めていた頃に感覚として感じる事が出来た。
私が接していた人はいわゆる世の中から排除されたような状態におかれた老人ホーム。
この時感じた事は弱っている人ほど過敏なのだと知った。
この人々には嘘は通用しないと思ったのは無心であるが故の願いが残されていたからだと思う。
現在は至る所に老人ホームがある。
私はこれを姥捨て山と言っている。
誰も訪ねて来ない老人がほとんどと言っても過言ではない。いつでも、誰でも自分が必要とされていない人間であることを感じるのは辛く孤独なものだと思う。今、元気な人も未来は分からない闇の中にあるのだと知っておくべきではないだろうか。
人間には過去から学び、未来を予測する知恵がある。時を超えて読み継がれる書物は人間が生きている限り変わらない普遍性を備えているから、今なお共感をもって読まれる。
最初に書いた人物像は人間は愛さずには生きれない生物であることを伝えたいのだと思う。たまに火だるまになりながら生きる愚かな存在がいるのだが、愛とは痛みを伴うからこそ輝いて見える。
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