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今日、久しぶりの人に会った。あまり話す気にはならなかったのだが、これも神様の思し召しかなとも思う。
探し物をしていると偶然目の前にやってくるような感じがあるのだが、今回もそんな風に偶然と必然が重なったように思う。人生について人が考えるのは時間の余裕が出来てからなんだろうが、時すでに遅しの感無きにしもあらずなんだ。死ぬまで気付かずにいるよりかはましだが。何度も私は人生は舞台に過ぎないと思いもし生きてもきた。嘘をついたり、人に踊らされるよりは自分が人生の監督になるのが理想なんだが、どうも私の監督は冷酷な方のようだ。役者と言われなくても何となく芝居がかっていると言う感覚は誰しもが私に対して抱いているのだとは感じているのだが、何故私が馬鹿げた芝居を演じているのかまでは見えてはいない。リア王のような馬鹿を相手に真面目にはなれないのでつい道化役者を演じる羽目になる。私を役者と見える人の目こそが真実をも垣間見れるのかも知れない。役者、そう言う風に見ることが出来る人は私の本質が見えてもいるんだろう。二人の私がいるのだが一人は微動だにしない私で、もう一人はヒョイヒョイと姿を変え舞台から舞台へと身を翻していく、言葉で表現したらそんなとこかな。
私の本質を見抜く人間はなかなかいない。大概の人が役者の私しか見えてはいないように思う。そのおかげで私は八方美人とも言われる。多分、両方見えてこそ私を見ていると言えるのかも知れない。この二人の私の距離は他者と私の距離でもある。
私が自分は役者なんだと気づいたのは随分後になってからに思う。それまでの私は他人に合わせてか他人が監督を務めていたように思う。
最悪の監督は私の元旦那であろう。随分安っぽい人生を演出していたもんだと振り返り思うのだが、私自身も大根役者で作品の良し悪しに拘るだけの審美眼も持ち合わせてはいなかった。因みにいい役者は前回の役から脱皮できなくては次回作は失敗に終わる。
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