携帯から書く日々ブログ
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今日は仕事は休みだが、パンを焼きながら郷ひろみさんの本を読んでいる。仕事場にいると心なんてあるのかなぁと疑心暗鬼になり、自分が幻覚か妄想を見ている気分になってくる。何だろうね、この感覚の違いは。
昨日、図書館から借りてきた郷ひろみさんの言葉を読みながら、元気溌剌な私の妄想世界が翼を広げる。 良かったね、心よ、だ。死ななくて良かった。 感じれるものがあれば呼吸する。でも何でもかんでも感じていたら心は疲れきってしまうものでもあるらしい。 最近は感じて心地よいものと悪いものの選別が素早く出来るようになったことと感じたくないものに対して扉を閉める癖が付いてきた。 誰にも入れない世界で聞く声は私の遥か頭上を行く雲のようだ。雲は形を変え、様々な様相を呈するが私の住まいまでは影響しないんだ。 人の心には逃げ道がある。逃げたくはないんだが、私は濁った感情から放たれる腐臭がたまらなく嫌いなんだ。でも現実は腐臭が立ち込めているのが当たり前になったんだろうね。適応力に優れているんだが、どうもこれだけは駄目みたい。無意識に見つけた私の逃げ場が心なんだなぁ。 心ない言葉もここにいるとよそ事のように聞こえる。思えば7才の頃に身に付けた処世術だったが、あまりの居心地の良さに扉の開け方を忘れちったよ。 サライに逢わなかったら扉の中で餓死していたかもね。サライと郷ひろみさんの歌声に励まされ何とか生きていられる。私の心は心臓とセットになっているんじゃないんだ。愛する人とセットになっている。それもまた怖いものがある。 愛する人を失ったらまた、ゾンビになる訳よ。そんな自分は嫌いだから、なるべく心が喜びそうな場所に行くようには心掛けてはいる。 最近は畑の道を郷ひろみさんの歌詠いながら歩いたり走ったり踊ったり。 知らない人が見たら精神病院に行くはめになるかな。死ぬよりはいいか。 生きながら死ぬって一番辛いんだよね。心が感じている限り希望は止めどなく溢れてくるもんだ。 大した希望ではないんだが日々を生きるには十分かな。 PR |
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