携帯から書く日々ブログ
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
単純な感情が私には許されていなかった。何でも与えられるものを受け取るしか生きる術はなかったのだから。私にその感情を呼び覚ました友人がいる。彼女は運が良かったのだろう。 しかし、そればっかりだと、つまらないとも思う。阿久悠さんのやせ我慢も時には必要だ。現実が何時も思い通りになるとは限らない。 努力だけでは乗り越える事の出来ない現実だってある訳だ。例えばアウシュビッツでの人々。 ビィクトル、フランクルは語る。繊細な者ほど過酷な運命に耐えうるのだと。 アウシュビッツでピイピイ喚いたところでなんになる。せいぜい撃ち殺されるのが関の山だ。私も同じだった。嫌だ!そう言えば私は置いてきぼりをくうしかない。私に好き嫌いを言う自由は許されてはいなかった。今ではあらゆる時にやせ我慢を楽しむ知恵になっている。 出来る事はするが、出来ない事だってあるんだ。現実はそんなに甘くは出来ていない。 後に私はゲーテの言葉でこの意味を知る事になった。人生は砂糖菓子で出来てはいない。 くだくだ語らずとも充分理解出来る。私が歩んだ道に全ての意味があった。
過酷な道の中で神よ、私はあなたを愛していた。私にこの過酷を与えたのは、あなたの祝福以外の何物でもありはしない。 私は誰かにあなたを教えて貰った訳ではない。気がついたらあなたは私の傍らにいたのだ。私があなたの傍らなのか、どっちでもいい。 私とあなたは今では一つなのだから。 あなたを信じるように私は人間としての私だけの感情を愛する。 PR |
カレンダー
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
|