携帯から書く日々ブログ
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もう少しの間、夢を見ていよう。愛は幻に過ぎぬが、乾いた砂漠を歩く旅人にとって生きる希望になる。
心は叶わぬ夢を見る。叶わぬと知りつつ夢を手放さない。 まるで聞き分けの悪い子供のように、ただ一つの夢を欲する。 今日、不思議な人に会った。会った瞬間に波長がぴたっと会うのが分かった。 [あなた、波長が長いでしょう?]普通の人間には通用しない会話も彼にはスンナリ通る。最近、立て続けに二人目だ。サライに会ってから波長を冷静に感じるようになった。 姿形は多少違うのだが、放ってる空気が同じだ。 人を自由にさせるのは波長の谷と山の距離が相当あるからなんだと思う。魚に例えたら息もせず、深海に長時間潜っていられることだろう。こう言う人間は一旦黙秘を決めると他人には決して心や感情を見せずにいられる。現実で起きた出来事も深海に潜れば無かったに等しい過去の遺跡に過ぎない。人間が遥か彼方から現在まで旅をして今日がある。 大概の人は獲得した遺伝子を忘れているが、時々、突然変異を起こしたかと思うほど、命の中に脈々と長い血の旅を感じる存在がいる。 今日は様々な事を感じた日だった。 [この人教養がないなぁ]と半ば諦め気味に話を聞いていた。礼儀作法を学んでも教養のない人間は下品だ。 日本も豊かになり、大概の人は教育を受け、知識だけは豊富に持っているのだが、教養のある人は極僅かでしかない。 教養は木の根っこだ。それがなきゃ生きているとは言えない。根っこがあるから自立してられる。 大地に深く根ざしているからこそ、風にそよぐ自由も味わえる。 人間は自然から自由になったのだが、寄る辺のない自由は寂しいものだ。 せっかく自由になったのに狭い意識や僅かな知識しか持ち合わせないってのも虚しいね。 波長の長い人は猿にだって合わせられる。長い人間の歴史から現実を見るとありんこみたいなものだ。 意識と言う檻の中。肩書きと言う衣装。アメーバだった頃が人間にもあった。 今が全てじゃない。人間が進化したのはイマジネーションの豊かさに寄るものではなかろうか。 嘘も誠に変えるのが人間だ。 遺伝子の階段には多くの記憶が眠り、遠い未来を夢見る。 もっともっと上にと。途切れることのない階段は果てしなく続く宇宙のようだ。だけど、愛がなきゃ宇宙の藻屑にしかならない。 木のように支えてくれる大地を無くしたんだから。 PR |
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