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よもやここまでと腹をくくっていると、あわやと言う所で処刑台を免れる。
何度、殺せ!と叫んだか知れない。
歩いてきた道がある。処刑台への道であったとしても引き返したくはないのだと思う。恐らく、最初は偶然に過ぎなかった道でしかない。いい思い出ばかりではないのだが、愛着なのか何かは知らないが、孤独な時間にふっと懐かしむ。
(おまえを離れ生きて行くくらいなら私はここで死ぬを望む)苦しみから始まった道を歩き続けた私がいる。
この道の先にはきっと神様がいるのだと信じて疑わなかったアホな私だ。今では内心神様に騙されたのかもと苦笑もする。心からの信頼があれば騙されようが憎んだりはしないのかも知れない。
仲のいい友のように言いたい放題になった神様に悪態をついたり、悪ガキになり逃げたりしながら過ごした時間が愛おしくてならない。
どんなに悲しい結末を迎えようが、私は後悔はしない。
苦しくてやりきれない時、私は静かに目を閉じる。無言の祈りを沈黙に込め。
今更、改めて言葉などで祈りはしない。極限に達した時のために神様には遺言を渡してある。
不思議なものだ。極限の状態にある時の私は何者も恐れぬ穏やかさで神が私に優しく触れるような感触さえ感じる。
こんな感覚は互いに信頼しあえた関係においてしか味わえないのだと思う。
愛し過ぎて加減を知らないような激しい愛し方がある。
私は時々不埒なイメージを見ることがある。
神が私を鏡の前で愛撫しているのだ。その姿は神では無く野獣にしか見えない。悶え苦しむ姿を愛おしむように抱きしめている。見開かれることのない目が私の全身を包み込む。
苦痛と言うものは肉体を意識することから生じるのだと思う。最高のエクスタシーなるものがあるとしたら、自分以外の何者かと一体になった時に得られるのではなかろうか。
誰も愛せなかったのではないのかも知れない。神が私を愛するような愛し方を人間には出来ないのだと思う時がある。
その感覚は嫉妬深い存在にすら思う。
[おまえを人間には渡さない]
生まれた日から私は人間から引き離されて育ってきた。私も人間の手が触れるのを無意識に拒んでいたようにも思う。
愛する人に会う度に私は微かな笑みを感じる(奪えるものなら奪ってみろ)人間の脆い愛に挑むようでもある。
如何なる生き方をしてきたか、如何なる時間を共有してきたかだと思うんだ。例え、私が感じている神が幻に過ぎなかったとしても過ごした時間は永遠に記憶に留まるであろう。
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