携帯から書く日々ブログ
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私には強度の拒否反応するものがある。最近それが次第に強くなっている気がする。自分の父親以外ならいいか、と思っていたのだが、父親に似た人間はごまんといるんだなぁ。
チラッとでも似た箇所を見つけるとそれだけで嫌悪感が走る。父親と元旦那は非常に似ている。無意識は恐ろしやの一言に尽きる。 懐かしいような感覚が恐怖の名残とは思いもせなんだ。 父親以外ならまともな人間だろうと思っていたのだが、顔形は違っても中身は同じってのはよくある話。人参は人参でも料理次第で見た目は誤魔化せるのだが、食ったら人参だぁ!最悪! まっ!自業自得なんだが。中身をしっかり吟味しなかった私が悪いの一言に尽きる、と言う訳で今ではチラッとでも似たような要素が感じれたら即、逃げる! 逃げ足だけは昔から速かったような… 逃げるのが私の習性かいなと思われるくらい逃げ続けたような…逃げ場も様々だ。元旦那が嫌いだったんだと思うのだが、意識していないもんだから気分を紛らわせる方向に向かっていた訳よ。これじゃ根本的な解決にはならない。 仕事場でも人間関係が重要なんだが、死ぬまで一緒にいる訳じゃないから、多少の我慢は出来るかな…? ガキに罪はないのだが、こんな最悪の関係からは何も生まれはしない。完璧な人間もいない、理想的な親もいないのだが、嫌いな人間は親と言えど嫌いでいいんでない。そう言う感情をしっかり認めないから私みたいに馬鹿男を選んで後悔するんだ。 ただ、側にいるだけで苛ついていた理由をしっかり認識していたら、ここまで最悪の事態は避けられたのかも知れない。そう言う意味も込めて自分の感情は素直に認めた方がいい。私の父親は人の悪口を言わない人だったんだが、ありゃ人を見ていなかっただけだと分かった。 頭の中でこさえた粘土細工の人間には魂も心もありゃしない。嫌いと言う感情の抑圧が私にはあったんだと思う。 多分、巷にいる男はみな、似たかよったりなんだろうと漠然と感じるのだが、程度の問題でもある。欠点のない人間はいないのだが許せる範囲があるのではなかろうか。 人間として許せる範囲を超えちまったらアカンやろうが。そん時にゃ我が子と言えど殺すくらいの親の方が人間かも知れない。その覚悟と意識があるから大切にも出来るんだと思う。 愛の反対は無関心。存在しないに等しい扱いを受けたお返しはしとかなきゃね。なんてね。今更どうでもいい。 父親も亡くなったことだし。 悪い人ではないが、馬鹿だった。 PR |
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