携帯から書く日々ブログ
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ロダンの(考える人)を見てると、気高い思想と深い意識を感じる。彼が(僕ってさ、テレビなんか見ないし、もっぱら哲学さ)なんて、言った日には血の気が引いてしまうだろうな。彼に似合う言葉をあれこれ考えてみる(私も相当暇人だ) (最近、便秘気味でもう随分長い間頑張ってるんだが、今日もでないなぁ)これならまだ許せる。モナリザなんかは薄気味悪いって言う人もいるけど、私は小気味良さすら感じる。(全て、知ってるの。でも言わない)お馬鹿さん!愚かな人間の繰り広げる芝居を見てる様な眼差し、微笑み。愚かな人間に遣えながら、より愚かな身振りでかしづき、頭を大地に擦り付けんばかりにもてなすであろう。月明かりの射すバルコニーに立ち、何処へという訳でもなく、あの視線と微笑みを浮かべる。イマジネーションをかきたてるものに出会う時、恋人に会った気分になる。気まぐれな恋人は約束などしてはくれない。(好きにして)。と。ここで思いだしたのが、ポール、マッカートニの(Let it be)歌詞にも繰り返し歌われているように(知
恵ある言葉を囁くがいい、なすがままに)良質の素材はあらゆるものを呼び醒ます。モナリザはダビンチの自画像という説もあるが、素直に認める。彼の思想が頭脳がいかなる代物であったか知るよしもないのだが、モナリザのソフトな顔の中に秘められたハードなものをダビンチも持っていた気がする。 (考える人)と(モナリザ)が合体したらさぞ面白かろうな。モナリザはかしづく事を止め、考える人は行動に向かうかも。考える人に関して私はなんの知識もない。学者でもない。そこまで暇人ではない。あらゆる本にあらゆる人が憶測で書いている事。一部ではあるが全てではない。芸術はいかなる解釈であってもモナリザ同様受け止めるであろう。多ければ多い程芸術の華は咲き乱れる。こじんまりと納まったりはしない。常に古く。常に新しい。それが芸術の真髄に思える。時を越えて人々に語りかけるもの、芸術は目的の為のひとつの道具に過ぎない。命のメッセージを受け止め表現する。今の所人間がメッセンジャーの役目を担っているが。ソロソロ、神様も鼻糞ほじるのにも飽きた様子。あ~秘密はゴキブリに教えたろうか。隠されたもの を探すだけなのに、なんでこんなに時間かかるかな。もしかしてあんたってどんくさい?神様は合理主義なんだがなぁ PR |
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