携帯から書く日々ブログ
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それが同じなのは人は一人で死んでいく定めだからに思える。人を愛した時、誰かに相談しても無意味に思われる。
大概、知りたいことは相手がどう思っているかなんだろうが、それを知っているのは本人だけだ。 先日、免許の更新に行き、苦笑した。 席が47番と言うだけの単純なことなんだが、あ~サライの誕生日が4月7日だなぁとか思っている。偶然に過ぎないことにも人の意識が加わると意味を持ってしまうものだ。 なんでもないことに意味付けをするのが人間の滑稽なところなんだろうとも思う。こんな風に物事に意味付けをしながら私は生きてきたようにも思える。 多分、子供の頃に味わった苦しみを憎みたくは無かったのかも知れない。いい方に解釈して生きてきたが、限界かなとも思っている。 人は愛の夢をみるが、それが現実にあるのだとは信じてはいない。そう言うものを人類が信じてしまうと今の世の中には不都合が生じる。 経済は叶わぬ夢の代わりを提供することで成り立っている。人が人を愛するってことは遺伝子の乗り物としての存在では無く、心と言う摩訶不思議な幻を見るからなんだが、それは悪魔でもある。 肉体の中に捕らわれの身となった心は肉体を離れることは不可能なんだが、唯一離れることが可能になる時がある。それが人を愛した時だと思う。肉体を忘れ、ただ好きな人のことしか考えられなくなった時、ある意味悲しく、切ない心の自由を得るのかも知れない。 PR |
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