携帯から書く日々ブログ
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自分から好んで歩く馬鹿はいないのだ。生まれ落ちたその日から執拗に私に囁いた存在がいた。
今ではその声も聞こえなくなったのだが、道を外れる心配がなくなったからなんだろう。今でもウンザリしているのだが、逃げられない宿命なら闘うしかねぇだろうの心境でしかない。多分、イエスもその類の罠にはまっちまったんじゃろ。こんなチンケな人間なんか滅びちまえば良いではないかと言うのが私の本音なんだが、時たま、おっすげぇと言う人間がいるから何とか持ちこたえている。 愛されるならこんな人から…なんて思うのだが、私自身が下らない人間ならそれは不可能じゃろうが。これほど同じ生物でありながら中身が違うってのは案外面白いかもなんだが、99パーセントはアホの集団でしかない。私は極度の寂しがり屋なんだが、アホと付き合う苦しみに比べたら寂しいのは多少我慢も出来るようになった。 中身など吟味せずとも分かってしまう悲しさかいな。この感覚はケーキを買っていた頃は中身の材料より見た目の美しさや面白さに惹かれていたのだが、自分で作ってみると表面だけで中身の素材が丸見えになってしまって買う気にならないってとこだなぁ。 どんなに装ったとこで見抜く人間がいるんだなぁ。そう言う人間にしか興味はないとなると寂しいのも仕方ないかぁになる。男はただおちんちんが付いた生物で女は穴の開いたバケツにしか見えないってのは笑える。 ただのおちんちんをぶら下げた野郎が偉そうな口を叩くからむかっ腹がたつ!今時の男には値打ちはない!女もだ! 多分、私は世界に一人しかいない人間が好きなんだ。私にとってであって、世間様の趣味は知らん。人間としての私は凄い焼き餅やきだと最近感じている。私が命がけで愛する癖があるから、相手にも同じものを求めるんだろう。 イエスさんはその類の愛には無関心だったのかも知れないのだが、生憎私は普通の人間じゃから、妥協出来ないものがある。馬鹿と一緒にいるくらいなら孤独を取る。愛する分には一向に構わないのだが愛されるのはごめん被りたい。 因みに憎しみも愛する部類に入る。馬鹿に対して無関心になれない私は愛しているんだが伝わらない悲しさがある。そりゃそうだろ。愛は優しいなんて都合の良い見方しか出来ない輩がうじゃうじゃだ。砂糖漬けにしてやろうか! 物事には二面性が常に付きまとうもんだと思う。馬鹿とも程ほどに付き合えば憎しみにまで発展しない。穴を掘ると地球の裏側に突き抜けるんだ。そう言うのを墓穴を掘るとも言うんだろうな。うわっらを適度に歩くだけがいちばん無難かも…適度に付き合うことで波風もたたず穏便に過ごせるんだが、つい越えちまうのが人間の悲しい性でもある。 愛するあまりに殺したくなる心境も分かるんだが、そこまで行くとやっぱ行き過ぎたんじゃないとか思ったりもする。まっ!自分の感情をうまくコントロールしながら穏やかに暮らすのがいちばんだと思う訳よ。 人間としての魅力ある人は自分の感情をうまくコントロールできる人でもある。自然は美しい、感情も等しく美しいのだが花束にアレンジするセンスがあればもっと楽しめる。 PR |
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