携帯から書く日々ブログ
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男と女はセックスの相性が良かったら何とか埋められるものがあるのかも知れない。性の違いが互いにないものを埋めあえるなら、セックスと言う形において温もりを分かち合っていけるだろうし、ただ抱き合っているだけで許しあえる時がある。
昔は銭湯があり、そこでは公然と見知らぬ人同士が裸の付き合いが出来ていたのだが、今ではそう言う場は無くなっている。裸で格好付ける人はいないだろうし、人が嫌いなら多分そう言う場所は避けていくだろう。 私は施設で仕事をしているのだが、利用者さんと肌と肌が密着する機会が多い。その度に感じることがある。[私のことが嫌いならさぞかし辛いだろうな]と。 そう言うのも一種のセックスのようなものかも知れない。嫌いな人の肌を通し伝わるものがある。その人が悪いのではないのだが、違和感のようなものを感じて萎縮するんだろう。利用者さんを観察していると無意識に肌が緊張している時と信頼しきって身を委ねている時の違いが分かる。呼吸がピタッと合うように同時に体が動くからこちからとしても介護し易くなるし、体力の消耗も少なくてすむ。介護される側に私に対する好意があれば不自由な体であっても自然と協力的な体制を取ってくれる。以前に勤めていた病院では私の方が利用者さんに助けて頂いたように思う。 愛は全てのものを貫く一本の光のようでもある。性別も年も国籍も関係なく、人間の中に根ざした揺るがぬものだと思う。ただその愛には個性があって、個々が持っている愛のリズムでもある。 PR |
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