携帯から書く日々ブログ
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景色の全てが愛する者の姿形に見えてしまうもんなんだ。
あな恐ろしや。 愛は疑う事を知らない。愛する者の全てを信じる。 因みに子供は親を信じて疑わない。親は自分を愛していると信じ込んだ結果は悲劇になる。親と言えど人間なのだ。 親離れはそう言う意味で大事だろう。 世の中を見て歩き様々な人に会うのがいい。その中から自分がいいと思うものを選択すべきなのだろう。こう言うのを美意識と言うんだなぁ。 親子と言えど他人なのだ。考え方や気持ちは異なる。正しい考えであったとしても受け入れられない場合もある。 似たもの同士なら反発もあるだろう。 自己確立とは自分で好きな自分になる事だと思う。ある程度血の繋がりがあり、覆せないものはあるにせよ。 親の嫌な面に対して反面教師的効果はある。親だから尊敬しなくてはならないなんて思い込まない事だ。 愛してはいるが、やはり別々の人格を持った人間なのだ。 もし、判断の全てを親なり愛する人に委ねるのならそれは自己責任の放棄にしかならないだろう。 愛する者の不幸を願う者はいない。悪い結果が出た時、えてして相手のせいにするのだが、よくよく考えてみると自分が早とちりをしている場合もある。 ただ、言える事は心から愛しているかどうかを問うべきだろう。揺るがぬものを感じたなら、自己反省が先なのではないだろうか。 私自身そのような類の過ちを多々犯してきた。その理由を考えると信じて疑う事をしなかったからだ。 もう一つ大切な事は自分自身の境界線をしっかり持っている事。例え愛する者との約束であっても越えてはならない一線をきっちり持つべきと私は思う。 それが相手をも守る事になるであろうし、私と言う人間を理解してもらう為でもある。 PR |
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