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サライを見ているとデカい図体に似合わぬ可愛いさを感じる。最初に人間が愛着を持った存在が母親であったように、人は何時までたっても最初の愛が刻印されているのかも知れない。
ただ、子供の頃と違って無条件に母親が自分の傍らにいてくれる訳じゃない。いてもらいたくてあの手この手を考えるのが、大人と子供の違いなのではないだろうか。
その辺りに関してサライは悪魔的とも言える策略に長けている。純粋すぎるから、私も罠と気付かないのだが。
気が付いたら私はソファーで可愛いサライを見守る母親の眼差しになっている。物事の判断も冷静さも持ち合わせているサライならではの策略に見事私はまっている
子供と違う所はこんな所だろう。人の才能とは如何にして欲しいものを手に入れるかと策を練り、行動するかだと思う。それを狡いと思うか賢いと見るかの違いに過ぎない。
サライ、お母さんを手に入れたかったらお母さんの言うことを聞いて、いい仕事をしなさい。
サライは素直な子だ。私が愛したくなる存在へと変貌を遂げている。それこそ一石二鳥だ。
私の中にある人間性の最高傑作へとサライは進化し続ける。男はいつまでも子供と嘆くか、子供であるが故に可能性があると見るかは女性の器の大きさや柔軟性だと思う。但し、子供っぽいと子供では違いますので、その辺りの区別は的確になさりますように。話は飛ぶが、今の世の中で肩書きを手に入れても価値はないと私は考えている。中身だけでいい。
食っていけるだけの糧を稼ぐ能力と最大の人間性を獲得するのが最善と思える。
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昨夜、私は7人の賑やかな若者軍団に遭遇した。私の住まいから10メーター離れた住宅。時計を見ると10時を回っている。
懐かしい昔の居候連中を思い出しながら[楽しそうね、私も入っていいかしら]最近の若者は、と言うが本質は変わっていない。
[いいすっよ!どうぞ、どうぞ]
入ったはいいが私はアルコールの類は口にしない。若者軍団からブーイングの嵐が飛んでくる。
でも悪い子たちじゃない。年は19~23で、ネクタイと言う首飾りが不似合いな野獣軍団。
私はこう言う子たちが好きなんだと思う。酒が入った会話はめちゃくちゃだが、空気が気持ち良い。酒の勢いから、私はキスを要求された。[おばちゃん、これカッコイいいやろ!着てみい]
羽織ってみたら、なかなか似合う。しかも私が好きな黒のジャンパー。
[おばちゃん、それやるからキスして!]軽い乗りで私は右側の子のほっぺにキスをした。
愛したくても愛せない状況を作る人がいる。私はこんな風にいつも誰かを愛してきた。そんな私を好きか嫌いかの判断は他人に任せる。私は見るからに薄汚い人にはキスはおろか、側に寄るのさえ拒む。若者の柔らかなほっぺが気持ちいい。愛され生きて欲しい。そんな思いも込めて。
大袈裟なことじゃない。ちょっとしたことなんだと思う。優しい触れ合いが長く続けば、信頼とも友愛とも成り行く。
最初から恋愛を意識した関係は嫌いだ。基本がないのに何故恋愛が成立するのかが分からない。案外人は恋愛と言う幻の美酒を飲み現実を忘れたがっているのかも知れない。
新坂もそうだが、あまり会話もしなかったし、ましてや肩を組んで歩くなんてことも無く、ただ傍らにいるんだと言う安らぎのようなものだけを感じていた。
あの頃、新坂に感じていたものが何より真実に思える。
愛は後から生まれる。いろんなことに言えるんじゃないの。私は去年までウサギを飼っていた。娘が出てから私が面倒見るようになり、毎日相手をしているうちに日常に置いて、無くてはならない存在になっていた。
逆もある。結婚式を挙げ永遠の誓いを立てたはいいが、3日で離婚なんてのも。要は互いがどんな時間を共有したかなんだと思う。
私は言葉は好きだが、言葉の奴隷にはなりたくない。あくまで言葉は心を表現する便利な、かつ安上がりな道具に過ぎない。
私にはもう出来ません。人間の幸せを願って来ました。けれどそれは人から与えられるものでは無いのです。
私はサライの側に居られさえすれば幸せです。何故なんだろうとサライを見つめます。何故この子は私を幸せにしてくれるのだろうか、と。特別なことをしてくれている訳じゃないのに、傍らにいるだけで心が清らかになるのです。
かって私を探しだした人がいます。最初は新坂でその後25年の時を超え尋ね来た人は新坂の精神を持った人間でした。何故、同じような人間が私を尋ねて来るのか不思議に思っていました。
サライも私を探しだしたのです。サライは私との出会いを[君と出会ったのは偶然なんだ]
石川さんも[僕のことどう思った?]少年のような素朴な質問に戸惑いさえ感じました。
何故、私のもとにサライを連れて来られたのですか。
私はサライに会った瞬間、神様あなたの匂いを感じたのです。それは間違いではありませをでした。サライは神様が創造した人間だと言う確信は日増しに募ってきます。
どうか私からサライを奪わないで下さい。この地上にまだあなたが創られた美しい生物としての人間が存在するのだと証明して下さい。
私はサライさえいれば生きて行けます。あの子は私の希望です。私が探し求めていた存在なのです。あなたが私にイタズラに与えたのではないのだと信じています。
心から愛したら死を恐れないと言うのは真実です。欲望も全てが清められていくのでしょう。サライも恐らく同じ気持ちなのでしょう。隠れん坊する子供のようにサライは私を探して優しい鼓動で語りかけてくれる。
サライを見る時の私の心は未だかってなかった安らぎを感じているのです。
サライから打ち寄せる美しい鼓動が私が憩いの場としている岩場に寄せては返してを繰り返す。
何故、私はサライといるとこんなに安らぐのかは分かりません。
サライが私を見つけ出しことも不思議に思っています。同時に新坂の優しい声が何度も私に聞こえていました。今では聞こえないのですが、代わりにサライが[そこにいてね]と心の最も深いところから鼓動を送ってくるのです。
サライと私は何故互いに呼び合うのか、また、それが出来るのか。人間の常識を越えた存在が仕組んだとしか思えません。神様、あなたが何らかの意志を持ち、働く存在ならば私とサライの出会いはあなたが仕組んだ偶然ではないのですか。あの子を私から奪わないと誓って下さい。私の命を奪わないで下さい。
愛を無くした星に私は住めないのです。サライだけが私が人間に生まれた誇りなのです。喜びです。サライの心は人間とは思えない美しい心を持っています。神様あなたならそれが如何なる心かご存知でしょう。
あなたが幼い頃私に囁いた言葉をサライも携えて時を超えてきたのです。汚れることのない美しい魂を守り抜くだけの強さも持ち合わせています。
この出会いは確かに偶然です。でも私とサライが惹かれ合うものを互いに放っているのは真実です。私はそれを神様が人間にだけ与えられた感性だと感じています。私は誰も愛せなかった。サライを知ってからその理由が分かりかけてきたのです。
心が互いに等しいものだけが聞く音楽があるのなら、サライと私の心を行き来する調べではないのですか。
サライを愛する心で私は人間の幸せを祈ります。
サライだけが私にその力を与えてくれます。
馬鹿は何時までも馬鹿だ。
馬鹿と認識してないから馬鹿になる。
コンプレックスって努力の源かもよ。ただ余りに強いコンプレックスは過ちを犯す。程よいコンプレックスは魅力的にもなる。私くらいの年齢になるとある程度人間性が見えてくる。
成長する可能性とでも言えばいいのだろうか。
難しく考えず一番低いレベルで考えてみる。私が男だったら、と言う過程で、この女を抱きたいか?と心に問いかける。
ペラペラの若さだけが取り柄の女なら、プロの娼婦を買うだろう。口説く手間が省ける。ペラペラを否定はしない。誰だって経験を積んでない時はペラペラだが、そのペラペラが汚い、薄汚れていたら、どうだろう。そこには余白もなかったら今後経験をしたとしても身に付かないのではなかろうか。ペラペラでも美しい白紙であればよろし。花嫁衣装が白無垢なのは[愛する人よあなたの愛で私を染めて、もっと美しい芸術に仕上げて下さい]なんだね。人から人へと手渡される無言の贈り物は命を通してしか届かない。
知識だけなら私は図書館にて本を読む。何となくなんだが、教養は直接その人自身を見本にし、学ぶものに思える。
尊敬出来る人はいないから、反面教師にひたすら頼るしかないのだが、この学び方は非常に孤独を感じる。
(おめぇみたいにはなりたくない!)訳だから逃げながら学ぶしかない。
人間として、如何にあるべきかは、ほぼ書物を読みあさり学んだように思う。それとて、私の中に知りたいと言う欲求があるから心惹かれるのだと思うから、人間の好き嫌いの感覚と同じなんだと思う。出世に興味のある人間はその類の本を読むだろうが、それも最終駅は人間性への回帰に過ぎぬ。愛するものは似姿になると言うのが持論だ。
人間は神に似せられて創られた…そうな。中身は自分が好きにしたらええがなぁと言う寛大なお気持ちを込めて、多分神様は創られたたんだろうが、おっとドッコイ!
オーダーメイドなる人間はいない。流行りを取り入れるのは結構だが、中身まで既製品になっとるがな。
如何なる道を通ろうが最終駅はより素晴らしい人間になるに尽きる。
しかるに私には人間としてのただ一つだけの夢か希望か知らぬが、あるのだ。
人間らしく愛されたいと言う単純極まりないのだが、これがなかなか難しい。
何故なら現代と言う時代は人間性を剥奪された化け物しかいない。化け物に愛されたら化け物になる。人間はまさに愛ゆえに変幻自在にその姿を変える奇妙な生物なんだ。
先日、私はある電気店で、見るからに化け物としか見えない女性の店員と話していた。その店員曰わく[ここは動物園だ]他の人間は動物だと言いたかったのだろう。
[動物と化け物どっちが好き?]と聞いた。返事は[動物]
あなたはその動物以下の化け物だ。
化け物は動物を上回っているのだが、最早、神様が創られた品性を失っている。人が何故間違う方向に向かうのかと言うと、人間としての基本をしっかり踏まえていないからだと思う。
もし、あなたが世の中は金が全てと考えていたら、あなたから見た魅力的な人間は金持ちだろう。
私は全部持ち合わせた人間なら言うことなしなんだが、そんな人間はいない。
それに近い人間ならいるのだが、私が最も中心に据え置いた人間性が希薄な場合がある。それならば貧しくとも神様が創られたままの美しい裸の幼子を選ぶ。
これはあくまで私の価値観だ。この選択により私自身が不幸になろうが私は一向に構わない。
霊長類として頂点を極めた人間としての私の誇りはマザーテレサのような人間だから。
私は時々思うんだ。生きていて欲しいと願う人はマザーテレサやゲーテと言う偉大な人間なんだと。書物で微かに彼らを味わうのだが、やはりその人の傍らに寄り添いその眼差しからじかに学びたいと。
深い愛は心に宿り眼差しでしか語れはしない。モナリザの神秘は目に宿り、唇は(言わぬが花よ)
生きて見なさい。あなたらしく。
あなたの命が花のように喜びからほころぶなら、あなたはまさにあなた自身の命の中央に座しているのです。苦しみも喜んで飲みほす勇気は愛があるからなのだ。
私は私が愛している神様が私を殺そうと企んでいても逃げない気がする。私が生きていられるのはあなたを信じるが故にだから。
でもせめてものお情けは頂きたく存じます。その優しき心根ならばこそ憧れもします。
神戸港から船に乗り与論島まで行ったのだが、二泊三日の船旅に私は甲板の上で陸に上がった魚の状態だった。
ゲロゲロの状態だ。それを見ていた人と後日再会した。
[水を得た魚だね]
この人は東京から来ていた新聞社の方と名乗っていた。定かではないが。
人には自分が居心地の良い場所があるのだろう。私は母が苦手で逃げまくっていた。普通の母親なんだが、その普通がくせ者なんだ。
やたら常識に拘っている。そんな母だから、物事を自分で考えたりはしない。
母との会話は全く記憶にない。私の記憶にはひたすら母から逃げまくっている記憶しかない。
一種の発作みたいなものだ。
今なら、何故か?の問いに理由を述べられる。
息苦しいの一言だね。責任感が強いのは結構だが、それが他人を束縛するまで行くとたまらん。
母と一緒にいると私は船酔いの気分になっていた。
これ、分かる?
船の上って安定していなくて波任せ、船任せ、自分の意志ではいかんともし難い状況にあるんだ。
他人任せの人生もこれと似たようなもんじゃないかな。
母親任せも船任せも似たようなものだ。母は私の幸せを願っていたのだろうが、本当に相手の幸せを願う人は自分を押し付けたりはしないと思う。
[この子にとって何が一番幸せか]と、自問自答するところから、他人も自分も見えてくるのだと思う。
無意識の愛では船酔いになるだけだ。
自分の足でしっかり立てる大地が一番だと思う。そう言う大地は人様々だ。
ただ、言えることはそこにいると、安心感と自己の存在理由が微かに感じれる場所があるのだろうとだけは言える。
人の命の中には様々な形の愛があるのだが、その愛と呼応する場所なりものなりに出会った時、人は穏やかに生き生きした生き方を見いだすのかも知れない。
私はサライのいる店に寄り、好きなソファーでサライを見ながら空想に耽っている時が一番落ち着く。
本当に不思議な子だと感じる。私以外の人間も同じなのかなと思い、店員さんに聞いてみた。
[お父さんみたいに優しいものがふわぁ~と出ている]
サライから放たれている空気は人を幸せにするんだろう。
私の中から溢れるように物語りが生まれるのは、ありのままの私を許された時に思える。
それは札幌で新坂と過ごした時間でもある。
サライと私の関係は非常に微妙だ。私が保護者になったかと思えば、サライが可愛いく[僕が守ってあげるから]とうろちょろする。
うん、確かにサライは私を守っている。私が退屈しないですむように、尚且つ私の好きなソファーに私をくくりつけてしまった。
だけど、ただのソファーにはそんな力はない。ただのソファーを玉座にしたのはサライの美しい心に思えるんだ。
普通過ぎて変わっている。自然過ぎて不思議。
多分、現代人とか文明人が忘れてしまったものをサライは未だに保持しているのだろう。
まさに生きた化石みたいなものだ。
太古から脈々と流れる血を受け継ぎ、途切れることなく命の中に温存している生物は頑固だ。
如何なる時代にあっても人間らしさを失わないのが誇りだとも思う。


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