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[あんたはここにいてはいけない。ここから逃げなさい]
病院に勤めていた頃、田端さんと言う患者さんがいた。
食事を拒んでいた田端さんを案じて何とか食事を取って頂きたくて説得したのだが、田端さんは死ぬ覚悟をしている様子だった。そんな気持ちも分かっていた。分かった上で食べて欲しいと懇願した。田端さんが食事を取るきっかけになったのは私の一言だった。[田端さんはどうするの?田端さんを置いて行けないよ]その一言が田端さんには嬉しかったのだと思う。自分から何とか食べるようになった時は言いようのない喜びを感じた。私は自分の気持ちを押し付けるのは嫌いだ。自分から進んでしてくれる方がいい。例え、相手のことを思ってしたことであっても伝わらない時がある。
田端さんは食事を取ることで私の気持ちに応えてくれたんだと思う。
田端さんだけではない。病院勤めをしていた頃、多くの患者さんから頂いた好意は今でも私を慰めてくれる。多分、亡くなった方もいるだろうとふっと思う。
今年の夏は去年より暑く感じる。暑い日が続くと年を取った人には耐えられない。亡くなる方が多くなる。
別れた後も私の人生に優しい花を添えてくれている人たちがいる。そんな人を思い出す度に私は人は一人では生きて行けないんだと実感する。形のない優しさだけど、人と人の心を潤し安らぎを与えてくれる。時々、私はとても疲れる時がある。多分、そんな時は[私だって誰かに支えて欲しい]と言う不満が出た時だ。与えることは奪うことなんだが、私は与えることは得ることだと思うようになった。
心からの行為は決して欺かれたりはしない。何故なら自分の心が欲したことだからなんだと思う。欺かれたと感じた時は心に嘘を付いている。心から真っ直ぐに伸びた思いは何時しかたわわに果実を付け、何らかの喜びを与えてくれる。
果実が実るには時間が必要なんだ。忘れた頃に優しい思い出になって語りかけてくれる。くじけそうになった時に支えてくれる。
私の心は優しさでしか満たされない。多分、私は何度も傷つくだろう。でも昔に比べたら治るのも早くなってきている。その理由を考えると相手に期待せずに与えているからだとしか思えない。
ただ、自分が信じたことや感じた豊かさを表現しているだけなんだろう。
人間に生まれたならマザー、あなたのような人間になりたい。そんな願いが心にはいつもある。
一人で生きては行けないのが人間だから、時空を超え優しい眼差しを投げかけるマザーの瞳を思う。私を通じて、再び蘇る愛がある。
不死鳥のように。
誰も言葉にはしないけど、求めて止まない憧れがあるんだよ。
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腹が減っては戦は出来ないのと同じ。自分が幸せでないのに人の幸せの心配なんて願える訳がない。幸せに確固とした形があるんじゃないんだ。そう言うのを探すのがうまいか下手くそなだけに思える。私はクーラーのない生活をしているのだが、職場に行けばクーラーが入っていると言う理由だけで楽しみに通っている。便利さは人間に際限なき甘えを提供している。それが高じて欲求不満に陥り易いのじゃなかろうかとまで思う。
車も乗らなくなったのだが、あれはカッコイいのだが肉体が弱体化するもとだ。年を取るのではなく、重ねなくては何の意味があろうか。
(年だから…)
そんな分かりきったことを今更口にする気にはならない。
老いて死んでいくのが生物の定めなら、揺るがぬ定めなら、闘志を燃やすには好都合の対象にしか思えない。
常に闘う対象があれば活力は自ずと湧き出てくる。
取り敢えず今日愛せるものを探す。明日はまた違う愛に出会えるかも知れないから、今日1日凌げるだけの幸せを探し、心を満たしたい。
空腹だけが辛いのではないのだよ。無感動になった心は空腹以上に苦しい。
そんな気分では幸せなんてみつかる訳はない。
好きで苦労したんじゃないけど、いつの間にか越えた峠がある。ささやかなことにも感謝出来る自分はいいものだ。
文句ばかりの人生は幸せより不幸が寄って来る。そう言う人に会うと悲しい人だなぁなんて心が呟いている。
その人から今日、私は妙なことを言われた[人慣れしてる]と。逆なんだ。
人を尊重するからそんな風に見えるだけ。自分とは違う人間なんだと思うから優しく接したいと言う気持ちや思いが自然と人と人を結んでいくのだと思う。
だけど最近、誰をみてもサライではないと寂しく思う。サライとは明らかに何かが違うのは分かるんだが、分析出来ない存在がサライなんだろう。優しくはなれてもサライを思うほどには心が動かない。多分、サライと過ごした時間は特別な時間だったんだろう。
日頃からあくせくするのがいいとは思わないのだが、人生はいつ何時、何が起きるか分からない。
いざとなったら戦うだけの体力は作っておきたい。戦わずにすめばそれでいいのだが心構えとして、常に戦う体制でいたいとは願う。
争い事は好きではないが、服従出来ないこともある。
屈辱的な扱いを受けてまで生きていたいとは願わないんだ。最近、そう言うのを感じても妙に穏やかでいられる。以前は余計なこと考え、いまいち踏み出せなかった心境でもある。死ぬまで戦い続ける姿勢があればいつ死んでも悔いはないのだろう。
疲れきって横たわる時にふっと、このまま目覚め無くても悔いはないなぁと思っている私がいる。
欲を言えば叶えたかった一つの憧れがあるにはあるんだが、精一杯頑張った後ではそれすら、まっいいか!と呟いている。
多分、心と体が分裂していなくて同時に生きているからなんだとも思う。そんな時の心はとても清らかでいろんな恐れが消えていくんだろうね。
いずれにせよ、心と体が分裂していない人の動きは生きた芸術みたいなものかも知れない。健全な体にこそ健全な精神も宿ると言うのは真実だ。
職場で私より一つ若いと言うだけで喜んでいた女性がいる。昔は私も年配だと言うだけで尊敬しなくてはと思ったりしたが、年齢は関係ないのだと最近、とみに思う。若くても精神的に優れた人間がいる。知人間で、若くなりたいなどと言う話題も出るのだが、私はもういい!とキッパリ言える。様々な経験をさせて頂いたが、若さと言うより馬鹿さとしか思えず、だだ苦笑するしかない。
精神的な人ってどんな人かって聞かれたら返事に困るような…まっ相手の立場からも考えられる人かな。感情豊かではあっても感情的でないのが安心感と豊かさなのかも知れない。要するに私流にでは思いやりがあって、自分に拘らず、人との関係を大切に出来る人かな。
そんな人はいざとなったら底力発揮しそうだから、ノンビリ生きていられるんじゃない。
多分、そんな人は自分に自信があるんだよ。何とか生きていりゃええんよ。
朗らかで天真爛漫な神様の子供がどこかにいるんだろう。
自分の親をどうでもいい人と言うのは悲しいのだが、事実だから仕方ない。
親父が亡くなって半年が過ぎた。葬儀にも行かず後悔するかなぁと案じていたが、そんな心配は無用だったみたい。
生きていた頃から何の関わりも無かったんだから、亡くなっても変化がないんだろう。
いなくなって寂しいと思えない関係こそ寂しいもんだ。
新坂は私と別れた後似たような女と付き合い、もう一人はすぐ結婚した。それも私から考えると不思議な気がする。同じ人間はいないのに何故?と思う。
案外、私を愛していたと言うより寂しいからなんじゃないかな。私には出来ないからなんだが。
要するに昔の私と似たような気持ちで皆いるんじゃない?
寂しいから適当に。私から見た親父はどうでもいい人だった。誰かとすり替わっても支障がないんだ。関わりが無くなって、まぁ面白い人だったとは思う。
幼稚で純粋で弱くて、人から愛されたくて仕方なかったんだろう。
大切な人はいなくなって初めて気付くのかも知れないね。
愛する者を見失うまいと走る。子供の頃は神様だったんだが、最近、神様から少し親離れしたようにも思う。
私と同じ習性を彼も持っていたのだろう。(愛する力)
金儲けの才能はないけど、出世するような気配もないけど。そんな人が私は今でも大好き。マザー、テレサやヘレンケラー、あまり名前は知られていないのだが、ゼノ、ゼブラフスキーなどと言ったちょっと間抜けな愛の妖精たち。
私が付いて行きたくなる人はそんな人であり、無心に愛する人なのだと思う。
そう言う人がいないのが寂しい。
多分、彼も同じことを感じていたのだろう。愛に誘われ歩いて来た道が彼にもあったのだろう。
最初に言われた時は(何言ってんだろう)と思った。
愛する対象がこの世界にあるから頑張れるんだと思う。
ふっと彼がどのように歩いて来たのかが感じれる時がある。真摯な彼の姿勢からは他者に対する愛情と言うか優しさがあった。彼に限らず、私に好意を持った男性の殆どが彼と似たタイプでもあった。自分の為に生きるより愛する人の為に生きることに喜びを見いだす。でも誰でもいい訳じゃないと最近の私は思う。
愛さずには生きれないのだが、対象のない日々は寂しい。
私を誘って!ふっとそんな眼差しを空に向ける。
私の心が愛したくなるものを求め、思い出の中に手探りを入れる。その中には新坂や石川さんがいる。サライもだ。
私には愛さずに生きれる人が不思議に思える。でもそんな人でも心から愛されたいとは願っているのだろうね。だけど無理なんだ。心から愛する人は心の美しい人にしか誘われゃしない。
心を感じれる人にしか惹かれないんだ。心で互いに感じ合える時、言葉はナンセンスになる。こんな人は人一倍寂しがり屋でもある。最初は寂しいから優しくなったのかも知れない。それが人と触れ合う手段でもあったから。
そう言う似た者に私はよく会う。そんな時、私は可愛い子供になり、心地よい甘えを味わう。寂しがり屋にはそれが一番嬉しいのだと知ってるから。
与える形が違うだけで、心は同じ。
(入っておいでよ)
寂しい心を傷付けないようにそっと寄り添うには丸裸の心でなきゃ駄目なんだ。そんな人が私の側にはいつも寄って来る。
今でも思う。新坂や石川さん、サライに愛される人は幸せなんだろう、と。
私を真っ直ぐに見つめていた目が記憶に残っている。心からの眼差しは人が変わっても同じなんだと思う。そんなお馬鹿さんもいなくなった世の中は殺風景なものだね。
一見アホにしか見えないひたむきさが私の心を惹きつける。


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