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詩は人の心にソッと触れる 抽象的な言葉でしか現せない 詩が表現したいのは言葉になる以前の何かだから 読む側が好きなように捉えてもいいのですよ…と囁いているようにも思う 読み終わるとあたりに柔らかな空気が漂い空想が翼広げる
何年か前に詩的な会話をする人に出会った 言葉の中に愛のある人で、寂しい私の心に愛を囁いたように感じた 詩は自由な心を愛するのかも知れない 彼は無言で(僕といて心地よいですか)そう、私に尋ねていたように思う 人から放たれる空気は様々 どこまでも広がる空のような心を持った人を私は詩人と呼びます 詩が言葉だけで語られるものではないのだと、その人に教わったように思う 無言がとてもよく似合っていた
詩には汚れたものを拒む力があるように、その人の沈黙は人の心を洗い清めてくれるような気がした 神話の中に出てくる森の中の泉に浸されたように感じた
美しい自然が失われた地球で、今なお、失われず残っている自然があるとしたら、それは人の心に記憶された遠い記憶なのかも知れない
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この年になっても不可解な現象のひとつとして恋愛が立ちはだかる 私は情熱的な恋愛に会ったことがない 好きになった人はいる 話が合うとか、趣味が似てるとかのレベルで 要するに、この人といると話題が尽きない、のであって 暇潰しにはもってこいの相手に過ぎないのかも知れない
[この人がいればいい]そうはっきり自覚したのはサライが初めてだと思う ぶっちゃけサライは無愛想で無口でめったに笑わないのだが、側にいて息がしやすいとでも言えばよいのか
何でしょうね 人と人の相性と言うものは 二人でいるのに一人でいるような感覚 だからといって寂しいと言う訳ではないのだ 似たような現象で二人でいるより一人の方がいい、と言うのがある 一緒にいて寂しいと言う気分にしかならないなら、多分、相性が悪いのだ
サライに会ってから私は様々な人の違いが分かるようになったのは確かなんだ 人と人の距離みたいなものを敏感に感じるようにはなった 付き合いにも無理が無くなったように思う 何かが異なる…その違和感を必死になって埋めようとしていた頃の私は非常に落ち着きがなかったように思う
孤独から必死になり逃れようとあがいていたのだと振り返り思う 孤独であることを喜ばしくは思わないが、せめてもの救いとして一人の人間を与えてくれたことだけで救われた思いがする 私は自分を特別な人間として思ってはいないが、サライを見ているとこの世界には確かに秘密結社なるものがあるのだと思う 私もサライもこの世界の住人になりたくてなった訳ではない 理不尽な運命に導かれたとしかいいようがない 99パーセントの苦しみに1パーセントの滴が落ちた それが私が味わっている愛だと思う 恋愛感情を超えた何かが私とサライの間には横たわっている
別居していた頃、知人の男性から理由を聞かれた [面白くないから]他には理由が見あたらなかった 一家に二人の主婦はいらない 頭が二つある怪物は絶えず噛みつきあってることだろう 時々、子供の様子を見に行ってたが、日に日に私の居場所がなくなっているのを感じた 私は借りてきた猫さながらに、あっちの部屋こっちの部屋とめぐり(それほど広い家ではないが)落ち着かない気分で侘びしい部屋に帰るしかなかった
家庭運がない、とよく言われた 当たっていたのかも知れない その件に関しては[あんたが我が儘過ぎる]と言う説もある 家庭と言う庭から一人除け者にされたような気分、と書くとしゃくに障るので[自由だ!]と言うことにして、好きなこと、やりたかったことを手探りした いろいろ思い巡らしていく 小さかった頃のことや関心があったことなどetc 巡らして巡らして目が回るまで巡った頃、ふっと[物書きになりたいな]ぁ、と気の遠くなるようなことを思いつく しかし、啄木を読み諦める トーマス、マンを読み、失神してしまう そのまま1ヶ月間失神したまま動かないでいたら、また、書きたくなり、つらつらと好き勝手なことを書いて楽しんでいる それでいい、と今は思ってる 私が書きたいことはとっくに誰かが書いてる そうだね…理想を言えば、札幌にいた頃のように愛する人にボソッと呟くような言葉が好きなのだと思う 愛する人に誘われるかのように言葉が生まれる時に言葉と愛が重なって生まれるのかも知れない
夢が現実になりますように…と祈る それと逆に夢であって欲しい、と、祈ることもある
祈っても祈っても現実は変わらなかった 次々と下される診断に私は処刑台の階段を一段一段と登っていくように思えた 娘は14歳だった 病名は[膠原病] 医学に疎い私でも知っていた 原因不明の難病であることを 涙が止まらなかった 小さかった頃の娘の写真を見ながら、こんな悲しい未来が待ってるなどとは思いもしなかった 菜の花の咲く堤防で髪に花を飾り、笑ってる写真が嘘のように思えた あの日のまま時が止まっていたなら、こんな悲しみを味わうことはなかった もう一度あの子を生みなおせたら…不可能と知りながら、祈る時がある 苦しすぎて耐えられなくて泣き続けた 病院も変えた 誰かに[間違いですよ]そう言ってほしかった 願いも虚しく現実は覆せなかった 時間がたてばたつほど娘の症状は悪化していく 初めて現実を前にして挫折した気がした
神を創造した私の心はサライへの思いで満たされている サライに会ってからあの囁きはもう聞こえない 幻聴だったのかと思うくらい静かで記憶から遠のいている [神は私の中にいる]そう言ったことがある 確信があってのことではなく、しつこい信者に嫌気がさして、追い払うためだったのだが 案外、真実を言っていたのかも知れない 幼い頃、私は誰からも教わった訳でもないのに神の存在を感じていた あれは私の心が生み出したのだと思う 導き手のいない孤児のような日々の中で心は神を生み出したのだろう 自然派生的に心は導き手としての神を創造した サライに会ってから神の存在は必要がなくなったように記憶から消えていってる
愛は神の訪れ、とも言われる 心は神を生み出し私を導いた ただ一人の人間のもとへと
真っ直ぐに立つ木のように心から垂直に伸びた生命を感じるのは不思議な気がする 今まで大勢の人に会ってきて一度も感じたことがないものをサライに見ている 愚か、と思う人もいるだろう たかが一人の人間のために命まで投げ出すのは滑稽で悲劇なのかも知れない 心から自然に芽生えたものは美しい、としか答えられない 神を必要としなくなった心がある
[おまえの神は人間の中にあるのだ]その言葉の意味は神を愛したように愛する人を信じることだと思う 苦難に満ちた私の人生を振り返る 神を通してではなく私自身が歩いてきた道として 私は自分がどう言う人間になりたいかを心に尋ねていたのだろう 理想として神の衣装を纏わせたように思う もし、この世界に魂が存在するならその座はサライと私の間にある
[魂はその片割れを探すまで幸せにはなれない]ユングの言葉でもあり、極僅かの人々が経験した事柄でもある ある人はこう語る[孤独な二人から一人を引くと残りは人間ではなくなる]とも あなたの魂の片割れはあなた自身を映す鏡なのだと 真実のあなたを 一人では人間の名に値しないのだとも言う 私もそう思う だから人々に言いたい 愛する人と共に歩きなさい、と 闇の中でしか光は見えないのだから


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