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魂は居場所を定め、鉄の扉を閉める 泣こうが喚こうがでられゃしないんだ 死なない限り脱出出来ない牢獄がある
別名、孤独とも言う 群集から見たら、我が儘、自分勝手など様々な呼び名を付される 桑田佳祐の歌詞には孤独を味わったものにしか分からない世界がある [マイナス100度の太陽みたいな]矛盾した表現だけど、桑田佳祐は知ってるんだ、と思った 孤独への道といつの間にか辿り着いた牢獄を 人に馴染めず、感受性が鋭い人間が歩く道は誰かが歩いた道では無く、桑田佳祐だけが知ってる道
孤独の形は違えど、痛みは同じなんだろう 躊躇する間も無く物事に突進するタイプの人間は後から後悔もするが、頭でっかちには分からない独特な世界を持っている 感受性豊かな人間はイマジネーションを湧かせるような対象を求める野獣を孕んでいる
息がつまりそう…そう感じる瞬間がある 言葉でどう説明すればよいのか分からないのだが、強いて言うならば、区画整理され管理された世界の住人に感じる息苦しさなのかも知れない 普通の人が安心感を持ち過ごしている場所は桑田佳祐にはきっと息苦しさしか与えないのだろう 何かの本で、桑田が[寸止め]と言っていた そこから先は行ってはダメ!そんな立て看板がそこら中にあるような世界 立て看板を無視し、崖から転落しても誰かに責任を押し付けない覚悟があればの話だが 独走者に道などない 彼が走った後から道は生まれる 闇に向かい走り続けるアホの足跡が闇に記される
そんなとこかな 一旦走り始めた人間はもう止められない 観客の拍手喝采がなくとも桑田は走るように思う それが彼の習性であり、本性にも思える 孤独を愛する者と孤独を呪う者がいる 魂は孤独を愛する者の内に宿り鉄の扉を閉める 他者から完璧に独立した人間にしか人は愛せない
閉じ込められた牢獄から叫ぶ声が物悲しく人の魂を癒やす力になっていくのだと思う だからかな、私はチャラチャラした人間が嫌いなんだと思う 桑田が歌う馬鹿げた歌は寂しい心を華やがせてくれる 出るに出られぬ牢獄から焼けのやんぱちで歌う彼の歌もすきで、カラオケでよく唄っている 白けたら走れない!そんな気分かな この世界は所詮幻に過ぎない 分かりながら走っているからいい 人間だけが幻を追いかける
以前に[半径一メートルの世界]と題して書いたことがある 私の周りにいる人間の殆どが寸止めであり、狭い世界に捕らわれている かたや、孤独な人は牢獄の住人 似て非なるもの 弱音を吐かないのもさることながら、マイナス100度の太陽に焼かれても自分の人生に[イエス]と言い切れることだと思う まるで拷問受けながら生きてる気分になる
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随分、前に書いておいたものを読み返している 現実の中で違う人間を演じ、生きていたのだとつくづく思う 結局、人間の本質は変わらないものなんだ そんな自分を素直に認めている私がいる 漠然と書き綴ったぼやき、なのかな? 本当の自分に宛てて書いた手紙のようなものかも知れない 過去からの手紙を私は読んでいる気分だ 帰りたい…そう思いながら生きていたのだろう 余りにも周りの人間に適応し過ぎて本来の自分が分からなくなっていた 否、周りの人間が正しいのだと信じて自分を否定していた
私が信じてきた人が幸せだったか?そう問いかける、と様々な人の顔が浮かぶ
不幸せを絵に描いたような人もいた
母親が炬燵に頭を乗せ、眠ってる姿が嫌でたまらなかったのは、ただ生きて死んで行くような哀れさを感じたからなのかも知れない [生きていてもつまらないものだ]そう思わせるような顔だったのだろう かと言って、今、自分が幸せか?と問いかけると、否、としか言えないが、生まれてきてよかった、そう思えるものを探し続けていたのだと思う 逆を言えば、死んでもいいと思えるようなものかも知れない 大袈裟なものじゃなかったのだが、強いて言うならば人間らしさだろうなぁ
人間にしか味わえない崇高なものと動物特有の温もりの両極端に私は憧れていたのだと思う 母親からも父親からも感じることが出来なかった人間性のような何か、としか言えない 人間に生まれたはずなんだが、人間がどこにもいない そんな感じだ
多分、人は死を間近に控えた時に気付くのだろう 病院に勤めていた頃に感じたのは、最後はみな、私と同じものを求めていたんだ、ということだった 愛と言う幻を 人間の特性なんだろうね 想像する力ある故に抱く苦しみがある 動物はいつか死ぬなんて考えたりはしない 揺るぎない真実を秘め、あがくのが人間なのだろう
アバウト 大抵の人は私をそう感じてるらしい 自由とアバウト、どう違うのだろう
アバウトと言われながら、おまけが付いてくる[頑固] 矛盾してんなぁ、と思いつつ、自分を振り返る 私に拘りがあるとしたら、[拘らない]だと思う
自由の本当の意味は物事や自分に拘らないことだと思うのだが 人間として[そりゃ、マズいだろ]はやらないことだ その為に人間性の根本をしっかり把握しなきゃ、自由にはなれない
何だろうね 若い時の私はただ自由奔放だけだったように思う これじや意味ない、と薄々感じていたのかも知れない 子供の自由では無く、人間としての自由を求めたような気がする 私にも、よく分からないのだが 過去を振り返るとハチャメチャな私がいる 保護者が必要な私だったんだろう 新坂を思い出すとあの頃のままに新坂に守られて生きて来ても良かったかなぁ、と思わんでもない どんなに時が過ぎようが新坂と言う人間は素晴らしい、の一言に尽きる
一途だったんだろうなぁ 男を作って別れた女に似た人をまた探すなんて、すげぇ!だ 私なら、ボロカスに罵っていたかも
ふられたショックより愛する気持ちが強い、ってのも最近になって分かってきた きっと新坂は私と過ごした時間が好きだったんだと思う 自惚れかな? 今くらい自惚れられたら、別れずにすんだのにね 分かったことは、自分を持ってる人間は自由奔放な人を愛するってことだ 自由と調和は同じ波動らしい これはオードリー、ヘップバーンの言葉 多分、私をアバウトと言ってる人の大半は良い意味で言ってはいないのだと感じているが、いちいち説明するのが面倒臭いから、ほっとく! いい加減な人間を新坂は愛したりはしない そこら辺りが私の妙な自信に繋がっている
サライとは暗礁に乗り上げた船状態なんだが、もし、サライが本当に新坂と同じ気持ちだったら、私以外の女には行かない、と言うけったいな自信まである その結果、振られたら新坂とは違う人種だったのだと納得してしまいそう 本当に不思議な人 人間じゃなかったのかも、そのくらい不思議な人 多分、特殊な能力があったんじゃない 人の内面を感じる力みたいなものが 浅瀬にいる人間には決して見えない世界の住人は自由を愛する 凡人から見たら、アバウト 達人から見たら自由なんじゃろうなぁ 言葉の意味は人によりけりだ 心と魂を持った人間がいるなら、それは大人と子供の両方を備えているのだろう
札幌北24条 二年間暮らした街 時折、蘇ってきた懐かしい光景
アルバイト中に車道の向かい側を風のように駆けて行った少女 私の目を一瞬奪ったのは、 白い長靴を履いた少女 今では40を超えているであろうが、記憶の中では彼女はいつまでも十代のままの姿で駆けている ただ過ぎて行く人もあれば何時までも心に残り消えない映像もある
顔を見た訳ではないのだが、雰囲気が淡い空気に包まれていたように思う
記憶にあるのは、白い長靴 それだけのことだった とても軽やかに道の向こう側を駆けて行った あの少女にとって生きることは何ら苦痛ではないように感じていたのだと思う 軽快な歩調と白い長靴 一陣の風が吹いた瞬間
札幌には私の大切な思い出が沢山あったのだと思う 風来坊の私にとって、あの街こそが宝箱だったのだ 札幌を離れてからも、仕事が休みになると古里に帰るように夜汽車に乗った 誰が待ってる訳でもなかったが、いつも私を呼んでいた街 [帰っておいでよ…]言葉にしたら、そんな声がする街 そこに新坂がいて、亀沢がいて、沢山の優しい時間があったのに、私には価値が分からなかった時間 人と人が優しく触れ合った街
あの頃のように人と触れ合いたい、と願いながら生きてる気がする (にいざか…)そう呟くと新坂の顔がサライにすり替わってしまう
私に愛の原点があるとしたら、札幌なんだと思う
誇り高い愛があるとしたら、愛されたいと思わずに愛する姿勢なんだろう 新坂が私に与えてくれた愛はそうだった フラリと野良猫が札幌の街にやってきた 野良猫は新坂に見初められました 物語にしたら、そんなとこだ
[この子がいい] 新坂は自分の好き嫌いに素直だったんだと思う いい男だったのに女に色目を使わないとこが素敵だったんだ、と今頃気付いたって遅い! 南国生まれの私と札幌 不思議な組み合わせ まるで肉体は南国で作られ、精神は雪国だなぁ
愛とは共に苦しむ覚悟があるか、なんだと思う だから、悩むんだ 自分の苦しみが相手の苦しみだと感じるから努力もする さしずめイエス、キリストは他人の苦しみに耐えられない性分だったのだろう 私はほっとけるくらい強かになった 自分の荷物くらい自分で持てよな! 押しつけられた苦しみは嫌いだが、自分から引き受けた苦しみは試練なんだと思う それにね、好きな人と一緒に味わう物事には苦痛はないのだとも思うしね 実際、私の経験からすると、喜びと苦痛は裏表の関係なんだ、が、あまりの苦痛にショック死なんてのもあるかも知れない どこで車両が止まるか、だな
絵画を見てると、画家が描きたくなる人物には奥行きがある 私の行きつけのパチンコ店に一人だけいて、彼の自画像はスンナリ描けたのだが、他の人は似顔絵になってしまう その違いは人間性なんだと思う 自画像と似顔絵では雲泥の差がある いつも同じ笑顔で接してくれるのだが、平面的ではないのが伝わってくる たまにしか会話はしないのだが、常に前向きなんだなぁ、と感じられる 動作が前のめりになっていて あ~多分、意識が先に向かってんだな、とか そんな内面が姿勢に現れてる 今の社会では認められない存在かも知れない 嘘のない生き方…に付きまとうのは常にに貧乏だ 嘘っぱちの豊かさに慣れきった人たちにはきっと耐えられないのだと思う
これも性分みたいなもんだ 文明に寄って変形された自己と神が与えた自己との違いに思う 自分らしさみたいなものを自然に受け入れた結果なんだろう
彼に会ったのも何かの縁があってのことだと思っている 以前の私なら[愛想のいい人]で過ぎていたんだろう 確かな人間性にじかに触れることが重要に思える 見抜く側にも同じ資質があるからだとも思うのだが 類は友を呼ぶ ついでに共に苦しむ覚悟のある人を選ぶ


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