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帰る家が欲しくて結婚したのだと思う。他にも相手はいくらでもいたのだが、あまりにも私には敷居が高すぎて結婚に踏み切る勇気が無かった。今なら親族とかを気にせず好きな人を選ぶが、若い頃の私は好きな人より家族になれそうな現実的な人を選んだ。
本心を偽ってまで家庭が欲しかった。
形だけの家庭。
愛する人となら自然に理想的な家庭が築けるのだとは思えなかった。
今、私は愛する人がいる。名前も年も何ひとつ気にはならない。このまま続くとも思わない。不安は山積みだが、愛さずにはいられないから諦めの心境で愛している。
どうしょうもないんだ。愛してしまったから止められない心が切なく、悲しくなるのだが、虚しい日々より愛する苦しみを取った。
死の苦しみ。
何かの本で愛は死の苦しみを伴うと書いてあったのがよぎる。まっいいか。
愛さずに私は生きれないのだから、虚しい日々に死ぬより誰かを狂おしいほどに愛して死ぬほうがいい。本望だ。
馬鹿サライは私の本心を少しも分かっていない。相変わらず私の言葉を信じてはいない。嘘にするか誠にするかは自分の心が決めている。
サライが嘘にするならそれもいい。そう言うこともサライが決めている。愛していてもお互いが同じ気持ちとは限らない。押し付けがましいのは嫌いだから、相手の判断に委ねるしかないのは仕方ない。
昔、私を心から愛してくれた人が無言で立ち去ったのを不思議に思っていた。
私を愛しているなら追いかけてくるはずだと。だが彼はなにも言わず私の前から姿を消した。
アパートを引っ越した気持ちも今なら分かる。好きな人の側にいたいのだが、愛されていないと感じながら暮らしていくのは辛い。どうせなら遠くに逃げて、無かったことにして忘れてしまいたい。
サライ、私は時々サライのいる店に寄っているのは何故か知ってる?
まだサライが私へのメッセージを記し続けているかを確かめる為だけに寄っている。メッセージが消えたら、サライの心から私が消えた証だと思っている。
寂しいけど仕方ないんだ。私はサライのいる空間にいるのが好きなんだけど、サライは私を監視するようにしか愛してないから、逃げるしか無かった。
私が居なくなってサライが寂しくてたまらないんだったら考え直してくれるんじゃないかなと期待してのことなんだが、このまま終わっても仕方ないとも思っている。死ぬほど愛していても譲れない姿勢みたいなものがある。
私を失うかサライを失うか、どっちも同じ苦しみだから、黙ってサライの行動を見守るしかない。
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あらゆる偶然が重なり、サライに逢った。逢った後も不思議な偶然がいくつも続くのだが、見て見ぬ振りをする。
偶然に対して無意識に受け取るより自分の意志で勝ち取ったんだと思いたいんだ。
好意的な運命には感謝するが、最後は自分の意志で決定を下したい。守り育てるのは私なんだから、気まぐれな運命に任せきりにしていたら最後まで守り通せないのかもと思ってしまう。そのくらい大事な存在として意識しているんだと思う。
最近、また、新しい郷ひろみさんの曲を聞いた[素敵にシンデレラ、コンプレックス]なんでか知らんが郷ひろみさんの歌は私の心境にピタッとフィットするのが不思議でならない。今まで、自分の心境にフィットした曲が無くて、ストレス解消に歌っていたのだが、郷ひろみさんの曲は[分かるなぁ]と頷いてしまうものが多い。
郷ひろみさんがきっかけでサライとは逢ったんだが、後から後から、納得出来る曲が出てくる。全部ではないが。
[素敵にシンデレラ、コンプレックス]は私が新坂と付き合っていた頃に亀沢から[まんがは強いな]と言われたことがある。苦学生だった亀沢が[奨学金がもうちょっと多かったらなぁ]と言う言葉を受けて[国なんか当てにするな!]
何時もは無口な私なんだがたまにおっそろしいくらいの迫力で発言することがあった。
私の無意識には何者がいたのだろう。
フロンティア精神とも言われたことがある。無口な私で普段は[すみません、ごめんなさい、ありがとうございます]しか言葉を発しないのだが、たまにギョッととする発言をする。殆ど無意識にだが、後から理解出来る言葉を闇は発する。大魔王が仁王立ちするように。
怒りの鉄拳を大地に振り降ろすが如しにだ。[くらえぇ~!]人生も恋人もケセラケセラで生きてきた。行き当たりばったりで心の赴くままに日本国中を歩きまわり、未来に対する不安より私は心から愛せるものを探し歩いていただけだ。私だけの特別な愛を。私の心に相応しい人を。私の心が最も喜ぶものを探さないと私の心はさ迷ったまま地上には降りては来ないんだ。心はさ迷ったままだが、私の無意識は闇の中から時々、雄叫びを上げる。
うりゃ~!稲妻の如き怒りを降らしてたんだが、最近は穏やかだ。サライおめぇがいるからなんだ。最近は地上にいる時間が長くなっている。サライに逢った頃どこからか知らないが[帰っておいで]としきりに呼ぶ声を聞いていた。多分、新坂が私の無意識に痕跡を残してくれていたんだと思う。
郷ひろみさんの歌は新坂と過ごしていた頃の私のままなんだ。特に[素敵にシンデレラ]は新坂が知ってる私だから。
歌詞に[たまには抱かせて]の部分には胸が締め付けられる。抱かれた記憶がないのが残念、無念!サライとセックスし損なった時サライは[無念]と記していた。あの頃の私はセックスが欲望にしか思えなくて嫌いだった。でも今はそうは思わない。せっかく女の形に生まれたんだから好きな人と楽しみたいと思うようになった。私がセックスに対する不信感があったんだと今は分かる。寂しい。あなたの鼓動を子守歌に私は眠りたかった。優しい鼓動を記憶に残してくれた人。
愛する人が居なくては私は物語りを紡げないんだ。無理には生まれて来ないから、愛する人を失ったら私の愛の物語りは泡になり消えて行くんだろうね。
今日、サライのいる店に寄った。
サライは私が今でも好き?人を愛するって切ないね。
[昔の君なら感じたままに生きていたんだろうね]そんな声が聞こえる。
私の馬鹿げた話を否定もせずに聞いてくれた人がいる。いつの間にか臆病になってしまった私をどこからか励ます声が聞こえる。
郷ひろみさんの歌もそうだが、人は常識を信じ、自分で感じたことを否定し生きるようになるとつまらない人間になるものだと思う。
金もないのに札幌から大阪に向かい夜に歩き出した。当然金がないからヒッチハイクなんだが、暗いわ寒いわで、やっと一台の車が止まった。そこから先は車を乗り継いでの旅だった。今、生きているんだから親切な人が多かったんだろうね。いつの間にか臆病になった私がいる。明日のことや先のことに心奪われたり、そう言うことが大人であるのかも知れないが、私ではない。[帰っておいでよ]の声と郷ひろみさんの[素敵なシンデレラ、コンプレックス]を聞きながら過ぎ去った私を思い出そうとする。記憶の中には新坂の優しい仕草が私を包む。
愛されるって大事だと思うんだ。誰かに心から愛された記憶が人に勇気を与えてくれたり、挫けそうになる心を励ましてくれたりする。
札幌で最初に新坂に逢ったのは私の部屋だった。亀沢と新坂ともう一人男性がいたのを覚えている。ハンサムだったのだけは覚えている。
私面食いだったんだ。自分の顔に自信が無かったからだと思うんだが。
今なら迷わず新坂を愛する自信がある。コンプレックスは私を迷子にさせたのだが、結局、昔の私に帰って来て懐かしい人と語っている。
[まんがは意固地だね]
好きな人に逢いたいくせにやせ我慢をする私を新坂の笑顔が励ます。[行きなよ。まんがらしく]黙って雪の中をすれ違った寂しさも今では優しい声に聞こえる。愛する人のいる所が私が帰る場所なんだ。新坂に紡いであげたように物語りが泡のように優しく生まれてくる場所は故郷みたいに自由になる。
人の愛は感じるものかも知れない。優しい心で感じるしかないものだ。言葉にならない思いを静かに感じているのが穏やかな世界なんだろうね。札幌で感じていたように。
3月の中頃に嵐山の川にドライブに行ったね。サライは寒いから車の中で待っていると言って車に帰って行ったけど、私は寒い中で川の音と寒さを感じながら、人間はどうしょうもない生物だなぁと嘆いていた。
寂しくてやりきれなくなる。だからと言って恋愛に逃げる気にはならないんだ。暫く川面を見ていたら気持ちが落ち着いて、車に帰り[サライ、寒いよ。冷たい!]言いながらサライのほっぺに手を触れた時の私が好きなんだ。
サライになら素直に甘えられるのが不思議な気がする。サライは[俺を男として見ろ!]と立ちはだかるけど、お互い自分が一番素直になれる関係がいいんじゃないかなぁ。
サライの発想は多分私とセックスしたいからだと思うんだが、男として見なくてもセックスは出来るよ。独占だって出来る。サライのままが私はいいんだけど、その中に[男]としてのサライも入っている。男としか見れない人より豊かなサライがいるんだがなぁ。多分ね、サライの欲望を満たしたらきっと男になんか拘らなくなる気がする。そんな気がしたから[俺とホテル行けるか!]と言われた時[いいよ]と応えたんんだけど。
私がサライの心に飛び込めるのは信頼があるからなんだが、サライはそれがないんだね。だから、セックスが入り口代わりになってるだけ。入ってしまったら、[なんだ~]随分狭い入り口に拘っていたんだと気付くんじゃないかな。
私はサライのような人にはめったに逢わないから、逢えただけで奇跡だと感じている。
サライから[キライだ!]と言われた後、私はサライの服の袖を子供のように掴んでいた。あれ、私が好きな人にする癖なんだ。好きな人にしかしない癖みたいなものが自然にでるのが私には不思議な気がする。甘えている訳じゃないんだ。心細い時に無意識にでる癖がサライの前では抵抗もなく出てくる。そんな自分が好きだから、サライは特別な人なんだと思っている。
花をたくさん植えたい。四季折々に色鮮やかに辺りを彩り心踊らせるのがいい。天気のいい日にはお日様に干したフカフカの布団に潜りお日様に抱きしめられて寝れるって幸せかも。汗をかいたら風呂に入れるなんて素敵だ。
おかずが少なくったって菜の花をちょこんと食卓に飾る心があるって大事だね。不平不満を並べた食卓はどんなご馳走を出されても不味かろう。
こうして並べてみると何が大事かが見えてくるね。
職場で気持ちに余裕のある人とない人の差は歴然としている。他人に対する思いやりがないんだ。他人のことなんかどうでもいいくせに自分だけは認めて欲しいなんて、ムチャクチャでんがなぁ。
心が汚い人は見た目も見窄らしく見える。多分、心の汚い人は誰にも見えないと思ってるんだ。心が。そう言う人は傍目は気にするが見えない所はほったらかしなんだろうな。
時間があっても掃除なんてしないだろうし、汚い格好も金がないからって言い訳してるんだろうなぁ。よそ行きの自分の方が好きなんだろうなぁ。私はありのままの私が一番好きだから、今日の気分に合わせて服も選ぶ。ファションも心を表現する小道具だと思う。最近、郷ひろみさんの声が好きでたまらない。少年のままの声なんだ。
大人になるって何だろうね。大きな人になるって書くんだがならないんだね。大きな人には。
それなら何時までも少年のままにある人の方が素敵だ。
心は不思議だ。見えないのに感じる世界。目隠しされると捕まえることが出来る。
大切な人は多分、心に住んでいる。寂しい夜に思う人が一番好きな人なんだ。星灯りのように優しい心で見つめているから。
私は人の花は笑顔だと思う。優しさはお日様みたいなもんかな。花はお日様に向かって咲くからきっと優しい人が好きなんだろうね。
優しい人を探して空から舞い降りてきたのかも知れない。


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