携帯から書く日々ブログ
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今日は神様あなたに告げる事はないのです。あなたがいなくなったように思い、寂しかった。不安でした。人間としての私にはあなたへの愛に等しい愛を捧げる人がいます。愛する苦しみは死に等しいと言われますが私は愛のない日々は死そのものでしかないのです。そのような日々を生きるくらいなら死ぬほどの狂おしい愛を選びます。
あなたが私から遠ざかったように思えたのは、私自身があなたの似姿となったからだと思います。 愛さずにはいられないのです。 同じです。幼い頃、私があなたを愛さずにはいられなかったのと同じです。 私は私を信じます。私が愛した人も私同様信じます。 しかし、まっ予想外ではあったかな。 多少の欠点があるくらいの方が魅力的ですね。(多少ではないが)私自身が奴に関しては寛大になれるのですから、少しくらいの欠点はヘラヘラ笑ってられます。何度でも許せる関係があるのです。 神様が私を苦しい目に合わせても、信頼を持っていたようにです。それには何らかの意味があるのだと思ってました。 理解したいと言うとこだ。 苦難の全てがあなたの愛の証としか受け取れなかった私は脳天気なのでしょう。時が教えてくれるものだと思ってました。答を急がず、成り行きを見守るの心境です。 昨日、私は彼のいる空間であなたを感じていました。けれどあなたではないのです。あなたと彼が入れ替わっていました。とても穏やかで私は自分の最も深い世界に身を沈めていました。普通の人には届かない世界にいる私に彼の思いや気持ち、心が響いてきたのです。 実際には側にいる訳でもなく姿も見えないのですが、側にいる以上に聞こえ、温もりを感じていました。 自分が信じた人です。愛した人です。 それで死ぬなら本望です。まっ簡単にはくたばらないとは思いますが。 死は私にとっては一つの慰めだった。儚い命なら信念と愛する人の側でと願ってましたから。 後は神のみぞ知るの心境かな。 心惹かれると言うのは理屈ではないのです。殆ど本能に近い状態です。 口は悪いわ、性格は悪いわ、どうしょうもないところも同じです。 しかし、私たちは別々の人格を持った個人です。物事の捉え方や見方など様々な食い違いがあります。 その辺りの食い違いでロミオとジュリエットのような悲劇になりはしないかと案じています。 愛と自由を選べるのが人間ですが、それ故に悲劇にもなりうるのでしょう。 PR |
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