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携帯から書く日々ブログ
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この心は神様の贈り物なんだろう。馬鹿の一つ覚えのように[笑顔でいたらいいことがあるよ]んな訳ないのに顔が引きつりそうになりながらの笑顔に喜んでくれていた人がいる。騙しているんだなぁと言う罪悪感はあったが心からの笑顔はなかなか出来なかった。
私の作り笑顔に対してハガキをくれた方がいる[まさにその日の天使でした]と。私は彼に如何に接したかも覚えてはいない。ハガキを読んだ限りでは多分笑顔に感動してくれたのだと推察出来るが、あの当時の私の笑顔って偽物なんだよね。でも自分で言うのも何だが、心根が優しいのは子供の頃からだから、多分、笑顔は偽物でもその笑顔の下にある心根を感じてくれたのかも知れない。
自分が優しい人間だとは思ったことはないが、他人からは言われたことがある。実際は抵抗するだけの強さが無かっただけかも。
今なら間違っていたら死んでも抵抗するんだが、昔は自分に自信が無かったんだよね。なんだか後ろめたい気持ちがあったのに、最近そう言うのが全く無くなった。かと言って自信があるかと言われたら[ある!]と断言は出来ないんだ。
先日、病院で診察をして頂き、会計が1400円に驚き、抗議した。納得出来ないことでも自分が無責任なもんだから、他人任せにしていたんだろうね。
おかしいと言う感覚は自分の感覚なんだが、その自分の感覚を試すのもいいと思うよ。[何か変だなぁ]と感じたら、確かめてみるべきだね。うやむやにした方が楽なんだけど、ずっとそうだと自己不信になるのかも知れない。いろんな本も読み、自分が感じていることの意味を知るのもいいかも。
過去って不思議だ。今、私が私を否定していたらきっと過去にあったことも否定するしかなくなる。いろんな過ちも笑いながら思い出せるのは今の自分を認めているからだと思う。認めるってことは今の自分の心を正直に認めるなんだ。
心は変わる。変わってもありのままを認め、受け止めるのがいいんじゃない。
心は人間に与えられた神様の贈り物なんだから。
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好きな人の側にいたいと言う私の願いは叶わないのだと思う。
職場でまたもや嫌なオバハンから嫌みを言われ、無視の状態で過ごした。心の中で[あんたみたいな人間にだけはなりたくない]呪文のように呟くとどうでもよくなった。
どんな仕事をしていようが結局人間性だとつくづく思うんだ。オバハン曰わく[あんた私を馬鹿にしてるみたい]みたい、では無く完璧に馬鹿にしか見えないんだが。
あんた何年人間をやって来たんだ。
この系統の人間にはウンザリするくらい会ってきて、今更喧嘩する気にもならなくなってはいるが、一言かまさずにはいられない。感情を一切含まない理性的な言葉は冷たい刃物のようにこの類の人種の心臓をえぐり、感情は煮えたぎる。
簡単にアッサリと煮えたぎるんだなぁ。どうでもいいことにエネルギーを使う。ヒステリックなオバハンの横で聞こえよがしに[時間の無駄]これでクビになったなら致し方あるめぇ、だな。
こうなる前に上司には報告を入れてあったが、オバハンは上司の態度を[あの人は甘い]とのたもうた。甘いのではない、あんたが上司になめられてんだとは気が付かない。
上司に相談を入れた時、帰り際に[私が謝っていたと伝えといていただけますか]と話していたことを上司はサラリと流してオバハンには何一つ伝えてはいなかった。
面接の時にこの人なら私の考えを理解出来るかも、と感じたのは当たっていた。人間性は顔に出る。最近つくづくそう思う。
ちょっと話が飛ぶが郷ひろみさんは職業が歌手だから、まず声に人柄が滲み出ている。これに関しては彼の本を読み納得した。歌うことを本当に愛しているんだと。
死ぬかもと感じた瞬間に[死んでもいいか]そう思う人は少ない。信念と心に神様を持った人間でないと言えない言葉なんだ。
分かったか!オバハン!私に喧嘩売るなら死ぬ覚悟で挑みなよな。八つ裂きにしてやっからよぉ。
私は殺したりはしない。それじゃつまらないからだ。もっと楽しい殺し方があるんだよ。
恋に焦がれるのも苦しいんだが、怒りに煮えたぎるのも苦しいんだよな。こう言う輩は最後には自分で墓穴を掘るはめになる。
[ホレ!ホレ!せっせっと掘らんかい!]最近この類の人種の楽しみ方もマスターした。
仕方ないじやん。多勢に無勢だから楽しむしかないんだ。
なんでも料理次第で美味しくなりゃよいのよ。素材が悪くても腕が良けりゃ何とかなるもんだ。
今年の春は雨がやたら多かったように思う。雨が降る度に幼い日の私が蘇る。
サライに会った頃から聞いていた声も今では聞こえなくなった。それが何を意味するのかは知らないのだが、私にとって大切な時期なのかも知れないと考え、毎日を少しずつでも改善して行こうと決意している。
何かを忘れる為にがむしゃらになっていた頃と違う毎日だ。気持ちがノンビリしているのに反して、時間の流れがゆたかに感じる。特別なことをしている訳でもないのに、時間の感覚が違う。
だらしないのがキライだって言うのが分かったら、どう生きるべきかが明確になったのかも知れない。今日を素敵に生きる、それだけを考えている。
未来は神様だけが知ってる。私の中の神様が一番好きな笑顔[君の笑顔が一番素敵だよ]
私もそう思う。
出逢いの度に感じるものがある[いい笑顔だなぁ]と。
奥ゆかしい笑顔と言うのがある。内面から優しく溢れるような笑顔だ。
どうも私はゲラゲラ笑いより微笑みのようなものに反応するらしい。微笑みは心の花のようだ。命がフワァ~と宙に舞うように感じる。
とにかくだらしなく生きるのだけは止めたい。
ついでにタバコも止められたら良いのだが、寂しいのだ。
もう少しの間はタバコを楽しみに過ごしてみるか。
そのうち自然と興味を無くすような気がする。
サライの横にいたらタバコを吸う気にならないのだから、多分寂しいのだと思う。サライを携帯できたら良いのだが、ちょっと携帯にはデカすぎる。それにサライは目立ち過ぎていかん。
激しい感情の持って行き場を無くしたのかも知れない。暗い森の中にある秘密の泉に私は何度も身を投じただろう。夜の闇にそっと森の中に入り泉を覗き込む。水中には私が愛した者が横たわる。まるで生きているような風情で永遠の眠りの中に安らいでいる。水中で夢を見続けているのだ。
感情では無くイメージなのだろう。私が郷ひろみさんの声に惹かれる理由は彼の歌声には感情ではなくイメージがある。私はカラオケに行くと感情が全くないような驚異的点数が出る。感情はあるんだがなぁと点数を睨みながら疑問を持っていた。
郷ひろみさんの本に出逢った事で今まで気付かなかった事が随分分かったように思う。何故、私が郷ひろみさんの声に惹かれるのか。
彼は感情を誰の手にも触れられない場所に隠しているんだ。こんな事をする人間は感受性が強いのだと思う。感受性は強いわ、プライドは高いわでは感情を素直に出せる訳はない。感情を殺すことが出来ないから、夜に森に入り泉に沈めるしかないのだ。
この泉は復活の泉でもある。現実のなかで鍛え抜かれた精神に寄って再び目覚めるのだが、それは神の創造のように新たな衣装を纏い、泉から立ち上がる。
感情は人間にとって自然に等しいものだと思うのだが、プライドが高く、感受性が強いと言うアンバランスが彼の歌声を作り上げたのかも知れない。
私は辛い時にはいつも歌っていたが、そこに感情を入れず、ただ、自分を慰める為と言うか、マイナス思考を払拭したいが為でしかなかった。とにかくマイナス思考では前に進めないんだ。
郷ひろみさんの本を読み彼の思考回路が如何なるものかが見えてくる。このタイプの人間は何度も精神的な死を経験している。
マゾっぽい要素も加わって、古い自己を壊す事に快感を覚えてしまう。破壊的ではなく実に建設的な破壊を繰り返していく方だろう。
私が心惹かれるのは純粋な人ではあるが、死を覚悟で物事に挑むんだ。
並の人では発揮出来ない力は泉に身を投じる覚悟があるのだろう。そこから幾度も復活する自分をみたのかも知れない。郷ひろみさんの本に神様がよく出てくるのも頷ける。
無宗教であることも。命の泉を持つ者は死を恐れない。
感情はイメージへと転換され、生まれ変わる。彼に暗さがないのは多分イメージに寄って生まれ変わった感情だからだ。
今日は仕事は休みだが、パンを焼きながら郷ひろみさんの本を読んでいる。仕事場にいると心なんてあるのかなぁと疑心暗鬼になり、自分が幻覚か妄想を見ている気分になってくる。何だろうね、この感覚の違いは。
昨日、図書館から借りてきた郷ひろみさんの言葉を読みながら、元気溌剌な私の妄想世界が翼を広げる。
良かったね、心よ、だ。死ななくて良かった。
感じれるものがあれば呼吸する。でも何でもかんでも感じていたら心は疲れきってしまうものでもあるらしい。
最近は感じて心地よいものと悪いものの選別が素早く出来るようになったことと感じたくないものに対して扉を閉める癖が付いてきた。
誰にも入れない世界で聞く声は私の遥か頭上を行く雲のようだ。雲は形を変え、様々な様相を呈するが私の住まいまでは影響しないんだ。
人の心には逃げ道がある。逃げたくはないんだが、私は濁った感情から放たれる腐臭がたまらなく嫌いなんだ。でも現実は腐臭が立ち込めているのが当たり前になったんだろうね。適応力に優れているんだが、どうもこれだけは駄目みたい。無意識に見つけた私の逃げ場が心なんだなぁ。
心ない言葉もここにいるとよそ事のように聞こえる。思えば7才の頃に身に付けた処世術だったが、あまりの居心地の良さに扉の開け方を忘れちったよ。
サライに逢わなかったら扉の中で餓死していたかもね。サライと郷ひろみさんの歌声に励まされ何とか生きていられる。私の心は心臓とセットになっているんじゃないんだ。愛する人とセットになっている。それもまた怖いものがある。
愛する人を失ったらまた、ゾンビになる訳よ。そんな自分は嫌いだから、なるべく心が喜びそうな場所に行くようには心掛けてはいる。
最近は畑の道を郷ひろみさんの歌詠いながら歩いたり走ったり踊ったり。
知らない人が見たら精神病院に行くはめになるかな。死ぬよりはいいか。
生きながら死ぬって一番辛いんだよね。心が感じている限り希望は止めどなく溢れてくるもんだ。
大した希望ではないんだが日々を生きるには十分かな。


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