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心の声に導かれ、辿り着いた地がある。愛おし子をただ眺めているだけで幸せなのだと感じている私がいる。ただ、あなたの近くにいたいとだけ願った私がいます。優しい眼差しを夢見ていました。
あなたのような眼差しで見つめられたなら、愛する者は素直な心で育っていくものなのです。
無心に慕う子を可愛いと思うのは神の心にも似ています。
私にその愛を与えてくれた人がいます。あの日の私そのままの幼子が。
ただ、あなたの側にいたいとだけ願う愛があるのです。
叶えてくれた人がいます。私が逃げ出さなかったらずっと側にいられたのでしょう。
あの日の私を思い出しながら(この悪ガキをどうしたものかしら)と思案してました。私がして欲しかったことを素直に与えるだけでよいのだと気付かされた。この悪ガキは私なんだ。
こいつに会うのは随分前から知っていた。何度も夢に見た。何度もイマジネーションとしてよぎった不思議な景色。
現実になってみると未来は予め人の心や魂にインプットされているのではなかろうかと思う。
現代人は感性がないから世界を捉える視野が狭いのだろう。奇跡は愛から生まれる。無から起きる爆発みたいなもんだ。好奇心の強い悪ガキは神様に聞いた[ねぇもっと素敵なものはないの]与えられた愛が一番素晴らしいことを知らない悪ガキは一度地獄を見なきゃ分からんようだ。私と神様の関係は私の中の愛の形。私が愛されたかったように愛して喜ぶ姿がある。私が注いで欲しかった愛を注いで咲く花がある。
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愛されたいと言う素直さの前で愛さずにはいられないんだ。それは昔の私なんだから。
サライを見ていたら新坂が私を愛した理由が分かってきて切ないんだけど、幸せ。両方同時に感じている私がいる。新坂の気持ちと私の気持ちがサライの中で一つになっている。
逃げようとしたサライに[コラ!サライ待たんかい!]と叫んだ後笑いが止まらなくなった。愛おしさがこみ上げて止まらなくなった。
そう言う子なんだサライは。やんちゃ坊主。私の中の子供はサライにそっくり。ただ、居てくれるだけで喜んでくれる存在がある。
今日、少し悩んでいた。サライに会うべきかと。
心に素直に。
私にも言える言葉だ。なんと素直に気持ちや心を現すのだろう。どんなに隠そうとしてもサライの心に咲く花は無邪気な子供のように明るい。ただその笑顔を見たいがために私はあらゆる滑稽なことをやらかしている。
君の笑顔が私を幸せにする。
私は最近感じることがある。恋愛を超えた関係があるのを。サライがやんちゃになればなるほど私への信頼が増しているのだと。
心から愛してたら人はあまり多くは望まなくなる。現代人の欲求不満はそんなとこだな。愛されたいけどありのままの私を愛して!ってか。馬鹿か!おめぇは。うん、赤ん坊とか死にかけの人なら愛するがおめぇはまだ生き続けるんだ。
一緒に歩いてくれなきゃ足手まといになるだけ。愛する人の重荷になるくらいなら死ぬ!くらいの気持ちでいて欲しい。因みに心から愛したら物欲が消える。ついでに煩悩も消え、スッキリして身軽になる、が、胸を焦がす痛みに耐えなくてはなりませぬ。
煩悩に振り回されるか死ぬほどの愛にのた打つかは選択の自由があります。
心から愛したら地獄も楽しからずや。
私は職場でマゾか!と言われた。心辺りありなんだね。
暗がりが嫌いだから地獄の業火に夜道を照らしながら歩く。だから[君には付いて行けない]なんて言われるんだ。
元、相方は[俺が一緒に帰ってやろうか]と言ったが、ご辞退申し上げ候。
あんたと一緒では地獄の業火も消えてしまいます。
私はずっとこの蜃気楼のような不確かな愛と言うものを見つめ続けていたように思う。悪魔とも神とも姿を変える愛の存在を探し歩いた。
求めよさらば与えられんだ。
幼稚な愛とは如何なるものか。ガキだ。人間として未熟でありながら自分の愛を押し付ける。押し付けたはいいが拒まれたら豹変する。いともアッサリ憎しみに変わり反省もない。本当に愛されたいなら相手を理解しようと努力するんだぜ。嫌なおっさんだった。[あんただけが選んでるんじゃない]当たり前だ。私はあんたが嫌いなだけだ。あんたも私を嫌えばすむことだ。
私は無理強いは嫌いだから、好きになったら好きな人の理想に少しでも近づく努力はしてきた。あんたは何もせずに人から愛されようなんて幼稚なんだよ。
ぶん殴ってやろうかと思ったが止めた!アホくさだ。
ガキは愛してくれたらホイホイ喜ぶだろうが、そんな安っぽいものは長続きしないんだ。
あんたみたいな人間に愛されたいと思うのは乞食くらいのものだ。
昔はこの手の人間に会う度に仕事を辞めていたが、最近はアホにも慣れてきた。ひたすら深海に潜りアホには潜れないであろう深海にいれば良いだけだ。
深海で私は[はよ、死んでまぇ]アホには決して聞こえない深海での独り言は楽しい。にこやかに笑顔で(さっさとくたばりやがれ)優しい顔の底には人食いザメがゆうゆうと泳いでいる。
私が一番父に似ていると思う。母親は父のことを優しいと言うことだけは認めている。
優しさが徒となり人に利用されるようでは意味はない。父のことを悪く言うのは災難に会った身内だけで他人は父を良くしか言わない。父もまた他人からそのように思われたかったのだから評価は間違ってはいない。
身内の一人として父を思う。父は今年の1月26日に亡くなった。私は葬儀には行かなかった。
死んだらおしまいだ。何も話すことはない。死に顔など見てセンチメンタルな気分になるのは嫌だ。ただ、父が求めていたものを私なりに追求したい。
父の優しさは本物で父の心は綺麗で純粋だった。これだけは私も否定しない。
ただ、人間として悩み事があった時に役には立たない。
人間として不完全な人に相談しても虚しい。結局、本を読み学ぶしかない。
私は父は好きだが父のような人から愛されたいとは思わない。私が求めるものは人間として、如何にあるべきかなのだ。寂しがり屋の父と私は似ている。
だが、私はアパートに居る居候連中に寛大ではあったが、シンナーをする居候には出ていって貰うと諭したことがある。どんな気持ちで言ったのかは覚えていないが、やってはならないことがある。
父にはそう言う愛が無かった。とにかく愛されたい一心の純粋さだ。
父から人の悪口を聞いたことがない。これも父と言う人間を誤解する源だ。世の中善人ばかりじゃない。物事の判断が出来ない純粋は弱い。私は父が好きだったが、尊敬はしていない。優しいだけなら誰だってなれる。
無責任なんだ。
人が人として生きていく為の知恵を父は知らない。
世渡りより人間になる為の知恵が欲しかったのだ。なぜなら不完全な人間から愛されるのは恐怖を感じる。私自身も愛されたいと言う願いだけを抱いていたが、誰より自分が不完全であり、なおかつコンプレックスの塊だ。愛することも愛されることも叶わない。誰よりも自分が自分を知っていた。
私に愛されても幸せにはなれない。
父には悩む力が無かったのだろう。毎晩のように酒を飲み知り合い連中と騒いでいりゃ悩む時間もない。気晴らしだけで生きた人間には心の葛藤などない。人を生かすのは葛藤から導かれたものだからだ。
今日、職場で不思議な光景を見た。長年共に仕事をしていると善悪の判断より身内意識の方が勝ってくるのだと思った。父と同じだ。どこでも父の犯した過ちには事欠かない。
私にはそう言う感覚がないのがせめてもの救いだったのだろう。居候が居なくなったら寂しいとは思ったが、シンナーは許せなかった。父なら許していたであろう。
私はいろんな人と付き合ってきたが、みな、優しかったのは間違いではない。ただ、私の中に様々な不安があった。
一通り経験してきて如何にあるべきかは把握できたように思う。
子育ての時も私の母親の回答は間違いだらけだ。ようするに回答がパターン化してしまって彼女の狭い人生経験から導き出したものだからだ。私ならばと思う。私の経験も踏まえた上で、もっと最善と思える考えはないものかと考える。
人が幸せになれない考えを与える気にはならない。
上の子とは割と話している方だと思うのだが、彼女のは相談ではなく欲求不満からくる愚痴が多い。私にどうして欲しいのだ。欲求不満のはけ口にされた父を哀れに思う。
人をゴミ箱にするんじゃねぇ!
自覚がないんだね。父もそうだが、下品な人間は愚痴で時間を潰したがる。てめぇの時間を潰すのは勝手だが、人まで巻き添えにするんじゃない。あほんだらが。


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