携帯から書く日々ブログ
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森の中や滝の側に行くと空気が透き通っているのが分かる。社会にいると私は闇雲に体を動かし遠心分離器に自分をかける。
今はまだ体力があるからこんな形で自分を浄化出来るが体力が無くなったら私の中には汚物が溜まってしまいそうだ。 サライに会ったのは幸運に思う。仕事帰りにブラリと寄り、ソファーにノンビリと座っているだけで清々しい気持ちになる。人間から放つ独特の空気がすっかり抜け落ちると体の中からエネルギーが新たに湧き出てくる。 こう言うことを無意識のうちにやっていた。体を極限まで追い詰めると無の心になる。 車を止めて三年になる。自転車でどこまでも走る。車は今でも好きだ。私はスピード狂だからとにかく飛ばしていたらスッキリするのだが、体がなまってくる。時間は無慈悲に体力を奪っていく。遠心分離器にかけるだけの体力も無くなった時を思う。 年を取ると子供に帰ると言うのは本当だ。病院にいた頃にそれは実感した。過去も未来も無くそこにただ存在している人間がいる。 ただ、私の行為だけを純粋に映す鏡のように。喜びは喜びのままに。悲しみは悲しみのままに。 嘘の付けない鏡になる。 ある患者さんは私に[昔、どこかで会った気がする]と言った。みな、昔は心で感じて生きていたのだから不思議でも何でもない。 心で感じて頭で考えるのがベストな生き方に思える。感じ方は様々、考え方も様々。そう言うのを個性だと思う。 PR
これは一心同体なのではなかろうか。
新坂の時も他人とは思えなかった。サライもだ。心が美しい人は溶け合うような気がする。 ならば、世界中の人が美しい心を持てば争いは無くなるって訳じゃんか。 マザーテレサのような方が大勢増えれば悩みは解消する。 私は他人には強制したくないから自由に選べばよいのだが、私はサライさえいれば何もいらない。 サライの側にいたら嫌なことは全部忘れて脳天気になれる。あ~私生きてることが嬉しい。非常に単純極まりない心境になる。金もいらない、名誉もいらない。生きてる実感だけでいい。サライがいれば十分だ。 本当にそう思う。失いたくない人はサライなんだって。 散歩しながらサライと一緒だったらもっと楽しいだろうなぁと思いながら、チラッとと視線を横に向けると、いるんだなぁこれが。天の邪鬼な悪ガキが。 可愛いと言う感覚は自分の胸に抱きしめたくなる存在なんだと思う。男も女も可愛いのがいいね。癒やされるよ。 ペットを飼う心理はそんなとこじゃないの。人は癒やされたいのよ。 私は愛されるのは新坂で十分だが、サライにはいてくれるだけでいいと願っている。この辺りが私は変わったのかも知れない。
不思議でならなかったのは人と私の視点だ。今なら、自分がどこに視点を向けているか認識している。漠然と他の人とは視点が違うと言うのは感じていた。(意識の視点なんだが)
自分の心が囁く声が鮮明に聞こえてくる。私にこれだけハッキリ聞こえるのだから他人にも私の心の声が漏れてやしないかと気がかりになる。だから、私は嘘が付けないかわりに一切話さないと言う姿勢を取ってきた。 自分の心を抑え他人に合わせることで周囲からも好感度100を頂いていた。 職場で[心から謝ってない]と指摘を受けたが、謝るほどのことだとは思ってもいないし、指摘を受けた相手の方に心などと言う高尚なものがあるとも思えなかった。あるんだが、感度の悪い心ってのもあれば薄汚い心ってのもある。 人の目は外に向かって開かれているのだが、心を見るのは目ではないんだなぁ。認識だと思う。 今日は気分悪いなぁと感じた時にふっと自分の心に意識がいく。こんな気分じゃあかんやろ! 見えない心なんだが様々な所に影響を及ぼしてしまう。気持ちや心のコントロールが出来て初めて大人だと思ったりする。 [君は心が広いんだな]と言ったのはサライなんだが、見えないはずの心を他人は感じている。 明日からまたあの意識の中で過ごさねばならないのかと思うと気が滅入る。全員ではないが指揮をとってる親分が最悪だから自然と周りにも影響する。 頭が腐っていると心も腐ってくる。 日本の頭は完璧に腐っている。どの政治家を見ても内面などないペラペラにしか見えない。 心が曇っていてはまともな発想は出てこんじゃろが、と私は思うのだが、心のない、若しくは狭い方が日本には大勢いらっしゃる。 余談だが、私が病院に勤めていた頃患者さんからモテモテだったのだ。 死ぬ前に心の美しい人に看取られ死にたいと言う願いがあるんだよ。 出来たら、元気なうちからそう言う人と過ごしたいものだが心の美しい人は薄汚い心を嫌うものだよ。心が美しいとは如何なるものか知らなかったのだが、実際に他者を通して感じてみて、多少は分かるようになった。 今の世の中では希少価値だね。 物では満たされないのだよ。一度心から愛されてみたら値打ちが分かるんじゃないかな。 私はサライに会ってから心の美しい人がどい言う人かがハッキリクッキリ分かるようになった。今までそう言う心には会わなかった訳ではないが、私に自覚がなかったから分からなかっただけ。 心の美しい人とはどのような人か。そんな人に愛されたら物欲も煩悩もすっきりと剥げ落ちる。 保証致します。 心からの愛を一度受けてみてはいかが。
心の綺麗な人だったのだろう。
何時、私の心に気付いたのだろう。新坂の目に映った私より新坂の心を美しいと感じる。 亀沢もそうだが、新坂の友人はいい人が多かった。近くのスナックのママさんが新坂のことを誉めていた。人から慕われるような人間性があるなら、彼がそうなんだろう。 私は新坂と別れた後もスナックに行っていた。亀沢とも会っていたが誰も私の前では新坂の話はしなくなった。 スナックは新坂が私を連れて何度か行っていたのだが、彼も苦学生だったのに、そんな金あったなぁと今頃になって疑問に思う。 無理させていたのではなかろうかと案じても後の祭り。格好付けるような人じゃなかったから、普通に一緒に居たかったんだろうし、若しくは私にいろんなことを経験させたかったかも知れない。 懐かしい思い出を辿りながら新坂の心を探している。 ビリヤードも好きだった。ボウリングも。私は新坂だけの時なら平気だが、他の人が混じると嫌だったんだと思う。 新坂には気を使わないのだが、他の人といると自分が異質に感じて嫌な気分になってくる。 他人なのに他人じゃない感覚。私がセックスを記憶していないのも案外そこら辺りにあるのかも知れない。 何をどう思い出しても普通の人間じゃない。少なくとも、そこら辺りにいる人間ではないのだけは分かる。 (帰っておいでよ)もそうだが(なんで僕に黙っていなくなるんだ)も悲しい響きだ。 神様が私に与えて下さった最高の贈り物。人間に生まれたならあなたのような人に愛されたいと誰もが願うのでしょう。
日本人は暗いのがお好きなようだ。仕事場でちょっとしたミスをやらかすとオバハンが嬉しそうにいそいそと文句を言う。[あっごめん]
私にとって失敗は人とのコミュニケーションに過ぎない。 [あんた心から謝ってない!] 心から謝ったら許して頂けるのでしょうか。でも心が深い所にあるんで、片道最低2時間はかかる。そんな暇があるならさっさと仕事した方がいいんでないの。オバハンハッキリ言ったらええのに。 [私は人を落ち込ませたいのよ]と。ご希望に応えてやるがなぁ。ご期待とご希望に応えて長い深い沈黙に撃沈する。誰もいない私だけの世界。探せるものなら探してみやがれ! 落ち込むにも限度がある。 日本人は暗いのがお好き。でも心は明るい方に向いてしか開かないんだよ。 心から謝るとオバハンに背中向けた状態になる。要するに無視ってことだ。 |
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