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残念ながら親を選び生まれてくる子はいない。私はその辛さは十分味わったので、出来たら好きな人くらい自分の意志で選びたいと言う願いが無意識にあった。ところがこれがまた大変なんだと気付かされたのだ。私の一方的な選択で決まる訳ではない。相手の意志もあるのだから、結局[あのぉ~私を好きになって頂けないでしょうか]と言う非常に遠慮深い思いを持ちつつ相手の反応を伺いつつ、[おっ!いけるかも]
一喜一憂の状態だなぁ。こんなしんどい思いするくらいなら最初に会っていたのに何故気が付かなかったんだと悔やまれるのだが、それが確かだと言う確信が持てるのも最初の出逢いが無意識の中に刻印として残されていたからだと思う。
親に愛され育った子は同じ人を選んで正解になるのだろうが私の場合は親があほんだらだから、親からは何の刻印も無い。その辺りは自由に選択が出来て良いのだが、めちゃくちゃ迷って辿り着く羽目になる。体力がなけりゃ出来ない。
因みに私の条件は単純極まりない。純粋に愛する人なんだね。
ブスのくせに何言ってんのと言われそうだな。そのことがコンプレックスになっていたから、謙虚にもなれたかもね。
人間として死ぬまで愛し続けることが可能な人はどう言う人かが分かってくる。一人しか選べないのなら死ぬまで愛すると誓える人でないと困るのよ。
結婚やセックスは別。好きでなくても世の中のプログラムに一応従うのが筋、なんちゃって。
セックスは本能だから、好奇心もあるかな。
[どんなんかな?]
で結論、セックスも結婚も心から好きな人が一番素敵なんだね。私のは後悔から生まれた宿命みたいなものだ。
あの親だから私がいるんだが、迷子になった分視野は広くなる。様々な愛の形を経験すれば豊かになる。
私もそうだが、たまには甘えたいと思うのだが、相手の懐が狭いと甘えられないものだ。様々な男性を見てきて、いつも頑張って男をしていりゃ疲れるだろうなぁと思う。
たまには子供に帰りたいんじゃないの。私はそう言う男性を何人か見てきているから分かる。
でも好きでない人が甘えてきても困るんだがなぁ。
甘えるのも一方的ではないのよ。甘えたいと願っていても、抱きしめたくなるほどの愛おしさがなければ、誰も甘えさせてはくれない。
心の中には様々な渇望がある。一人の人でまかなえたら一番だけどね。
私の中にも様々な人格がある。全員総出でなくちゃ経験が勿体ないよね。
出来ないから人は欲求不満になる。
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7才の頃からだから、言葉は殆ど標準語しか話さないと言っても過言ではない。母に引き取られ大阪で暮らすようになっても大阪弁は話さなかった。
母は私のことを何時までも馴染まない子として扱いにくく思っていた。私にも理解が出来ない行動と拒否反応するものがあった。
職場で言葉使いの話になり、子供が汚い言葉を使って困ると言う。黙って聞いていて、ふっと私は幼い日の私を思い出していた。私は言葉使いで人から注意を受けたことがない。
もとより余り話すタイプではなく、集団行動も苦手で修学旅行では迷子の呼び出しを食った。
集団から離れている方が落ち着くような気がして、自然と人のいない所にぽつねんといる。
とにかく人に馴染まない。私が馴染む人は相当の変わり者なのだ。若しくは偏見のない人なのかも知れない。
学生時代はイジメの対象になっていたが一向に気にならない。そう言う集団から身を引けばすむことだから。
要するに[私に構わないで!]なのだ。
寂しいと言う感情はあったが、無理して仲間に入る気にならない。入りたいとは思わない。端から見たら生意気な子だったのかも知れない。私自身は自分の心には誰も入れないのだと思っていたのだが、優しい人は密かに心に忍び寄ってくるものだと思う。私がいくら拒んでも、馴染む水のように心に流れるものがある。抗えないもがある。
昔に書いた詩を抜粋。
静かに湧き立つ水には抗おうとは思いません。
それは私のもの。
よそから訪れ、穏やかに時には激しく奪おうとするものには抗いもします。
馴染まぬは水が違う故、馴染むは同じ水夢。
同じ水なら穏やかに身を浸し、いつしかひとつのものになります。
これらの詩はほぼ無意識の暗黒が黒板になり、私に告げた言葉で書いた当時は意味が分からず、放置するしか無かったのだが、現実の中で実際の経験を通して自己を知る導きであったのだと思う。
言葉使いの美しい人はその言葉に相応しい形になるであろう。私は言葉の響きに非常に敏感だったのかも知れない。
最近は大阪弁も楽しい響きがあると感じている。
根本的には人間性なのだが、そこまで辿り着くまでは美しい言葉に導かれ歩くのがいいのだろう。
阿久悠さんの歌詞は好きだ。(馬鹿バカしい人生より馬鹿バカしい一時が嬉しい)巷を歩きながら馬鹿らしいジョークを飛ばしながら、まっいいか!奈落の底にいても退屈なだけだ。ジョークはタイミングだ。タイミングを逃がしたら白けてしまう。
波長って何だろうね。(あ~この人寂しいんだな)とは感じるが波長が合う訳じゃない。ただ、気持ちだけが切なく伝わってくる。
阿久悠さんの言葉にやせ我慢ってのがあったが、寂しいのをぐっと堪えてヘラヘラとまでは行かなくとも、笑い飛ばそうと頑張っている人が好きだ。
サライに会った時の私の感覚は15才から18才くらいの感覚になっているのが不思議だった。
この年齢は新坂と私が出逢った年齢なのだ。私が18才、新坂が21才。年は三歳しか違わないのだが、私から見た新坂は随分大人びて見え、尚且つ、物事の本質を見抜く目を持っていたと記憶している。
私が好きと言う感情を自覚する間も無くいつの間にかと言う無責任な付き合い、と感じていたのは私の方だけで、新坂には何らかの確信があったのだと振り返り思う。
恐らく新坂も私に会った瞬間に[この子だ]と確信したのだろう。私はサライを一目見た時の印象は忘れられない。
その前にもチラッと視界に入った瞬間がある。その時は、ん?と言う摩訶不思議な感覚だった。
ちょっと変わった人種のような、群集の中にいるのに離れて存在しているような独特な空気。
この世界に空から舞い降りたような雰囲気。生意気で頑固でわがままで、意地っぱりで、優しいのだが、頭から妙な角がピョンと生えている奇妙な生物。
悪魔の子サライと名付けたが、私の勘も大したもんだ。今では奴もサライ!と呼んだら反応するようになった。[なんで俺はサライなんだ]と言う反論もないので本名なんかどうでもいい。
野生児なんだが良心を持ち併せていると言う微妙なバランスだな。新坂は違った。彼は紳士に入る。その後に出逢った人も新坂のタイプだ。要するに大人だな。サライは大人になれないタイプだ。大人を演じるだけでなれないタイプ。
こう言う奴の子守はいささかくたびれるのだが、なんせ可愛いものだから苦にならない。
新坂も私と付き合っていた頃苦労したんだろうなぁ。突然いなくなるわ、好き嫌いは激しいわで。わがままと素直さが入り混じっている。
[僕のこと好き]と執拗に確かめたがる所はガキ独特の独占欲だ。
[男は独占欲が強いから]おめぇのは男の独占欲では無く、ガキの独占欲だ。
いないいないばぁ!だな。
チラッと姿を見せ、私が消えると[あっ見つけた]隠れ場所を探し、うろちょろする。
[コラ!サライ待たんかい!]
不思議な子だ。
とても魅力的な子だが子守が大変。いないと無償に寂しさを覚える。
大人にならないで欲しいと願う気持ちがある。
新坂も私にそう願っていたのかも知れない。
子供を産み死んでいくだけなら、何故人間に精神と言うものが備わっているのか。
未来を見通す意識を持ちながら死を恐れる。逃れ得ぬものなら死に勝るものを獲得すれば良いではないか。
私の知る限り周りの人間は死を恐れている。無知は恐怖の源、不幸の源。
どうしょうもないことやどうでもいいことに拘っている。
私が嫌いな人を思う。好きな人は限られているから、統計が取れないのだ。
視野が狭い、意識が浅い、認識が曖昧、執着心が強い、権力に弱い。挙げたらきりがないのだが、トドメはだらしないに限る。
昔の私は人間はみな平等と考えていた。いずれ精神的に同じレベルに到達するものと考えていた。誤診だった。
教養のない人間との生活は不幸の源。
想像力の欠如は他人に対する思いやりがない。ないものばかり求めるから常に欲求不満。明日生きているなんて保証はないのだから、今日を楽しむと言う発想は無く、ひたすら老後を考え金を蓄える。老後なんて考えなくてもとっくに死んでいる。自覚のない死人もいる。口ではみな偉そうに言うが、実際にその人間性を見ていて、滑稽極まりない。
私は現実の中で何人かの優れた人間に会っているから言える。私が求めていた人間性は幻ではなく、実存するのだと。
精神的未熟児と話しているとイライラしてくる。
まず、気分にムラがあるのが特徴だ。周りのことも考えず気分次第。そこに一貫性があれば端の者は理解してくれるだろうが、一貫性がないからひたすら気分を伺う羽目になる。
一貫性のない自己に対する無意識の不安から常識にしがみつき、柔軟な考え方が出来ない。
今日も職場でムカついた。不完全を認識している人間は謙虚だが、傲慢な人間には謙虚さが全くない。こう言う人間が躾と称して虐待をする。
私は幸いだった。親を認めていなかったから尊敬出来る人間を探し歩いた結果、実物と会うチャンスを頂いた。
私の中に自覚は無かったが無意識の中に持っているものに気付いてくれた人がいる。私が探し求めていた人間の中の神とは不完全な神としての人間だ。
自分を完全だと自認する人間は醜悪なだけに過ぎない。
社会的に成功したとしても人間性において未熟児では哀れだ。両方あれば恐れるものはない。
片方しか手に入らないのであれば人間性を取りたい。
私に改めてこの意識を呼び覚ました人間がいる。時を超え不屈に語りかける声は姿を変えなお語りかける。
異なる人間の中に同じ人間が宿っている。永遠の私の憧れとしての人間性が私を見つめる。
出逢いは全て偶然に過ぎない。互いに惹かれ合う者がいる。その命の中に人間としての高見を目指す者がいる。
今なら私はすぐ見抜くだろう。純粋な神の子を。


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