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携帯から書く日々ブログ
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記憶に残るのは姿勢と仕草のように思う。これは私の感覚であって他の人は違うのかも知れない。
ただ、美人だったとしか記憶に残っていない知人が数名いる。会話の内容は乾いた砂漠のような印象だった。
[あなたは話さなかったら美人なのにね]と言った覚えがある。彼女の旦那は聡明な人だったのだが、何故、こんな馬鹿女と一緒になったんだろうと疑問に思っていた。
失った愛の後遺症が人にはある。
彼は身寄りのない環境に育ち、18歳の妹さんを失ったのだと知人から聞き、納得。後悔先立たずとは彼のように宿命に支配された人間が使うのだろう。
身寄りが無かった彼は早いうちから自立を余儀なくされ、誰にも胸のうちを明かすことは無かったのかも知れない。
男と女は平等であるべきだが、平等とは同じと言う意味ではない。異なる形においてである。
私を愛してくれた人と私は平等だったと今でも思っている。私は彼に守られることで彼を孤独から救っていた。ペットを愛する心理と似たようなものだ。誰かを何かを愛さずにいられない人間がいる。私はペットの扱いは受けていないが、最近の人は人間を愛する勇気がないのか、若しくは愛したくなるような人間がいないからなのか、どっちかは知らないが、ペットに愛情を注ぐ人が多いような気がする。ぬいぐるみでは駄目なのは動かないし、反応がないからだろう。
人間には仕草と姿勢の両方が備わっている。両方あれば最高だ。
可愛いと言う形で残る時は多分仕草なんだろう。姿勢は男に見られる形に思う。女が馬鹿を演じても可愛いのだが、男はチッと難しいものがあるのではなかろうか。シャイともとれる。男の方がデリケートに創られているのだろう。
年をとると男は可愛くなるが女は揺るがなくなるか、ふてぶてしくなるかのいずれかだ。
シャイな男だから可愛くもなる。そうでない男や女が巷にはウジャウジャいる。
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よもやここまでと腹をくくっていると、あわやと言う所で処刑台を免れる。
何度、殺せ!と叫んだか知れない。
歩いてきた道がある。処刑台への道であったとしても引き返したくはないのだと思う。恐らく、最初は偶然に過ぎなかった道でしかない。いい思い出ばかりではないのだが、愛着なのか何かは知らないが、孤独な時間にふっと懐かしむ。
(おまえを離れ生きて行くくらいなら私はここで死ぬを望む)苦しみから始まった道を歩き続けた私がいる。
この道の先にはきっと神様がいるのだと信じて疑わなかったアホな私だ。今では内心神様に騙されたのかもと苦笑もする。心からの信頼があれば騙されようが憎んだりはしないのかも知れない。
仲のいい友のように言いたい放題になった神様に悪態をついたり、悪ガキになり逃げたりしながら過ごした時間が愛おしくてならない。
どんなに悲しい結末を迎えようが、私は後悔はしない。
苦しくてやりきれない時、私は静かに目を閉じる。無言の祈りを沈黙に込め。
今更、改めて言葉などで祈りはしない。極限に達した時のために神様には遺言を渡してある。
不思議なものだ。極限の状態にある時の私は何者も恐れぬ穏やかさで神が私に優しく触れるような感触さえ感じる。
こんな感覚は互いに信頼しあえた関係においてしか味わえないのだと思う。
愛し過ぎて加減を知らないような激しい愛し方がある。
私は時々不埒なイメージを見ることがある。
神が私を鏡の前で愛撫しているのだ。その姿は神では無く野獣にしか見えない。悶え苦しむ姿を愛おしむように抱きしめている。見開かれることのない目が私の全身を包み込む。
苦痛と言うものは肉体を意識することから生じるのだと思う。最高のエクスタシーなるものがあるとしたら、自分以外の何者かと一体になった時に得られるのではなかろうか。
誰も愛せなかったのではないのかも知れない。神が私を愛するような愛し方を人間には出来ないのだと思う時がある。
その感覚は嫉妬深い存在にすら思う。
[おまえを人間には渡さない]
生まれた日から私は人間から引き離されて育ってきた。私も人間の手が触れるのを無意識に拒んでいたようにも思う。
愛する人に会う度に私は微かな笑みを感じる(奪えるものなら奪ってみろ)人間の脆い愛に挑むようでもある。
如何なる生き方をしてきたか、如何なる時間を共有してきたかだと思うんだ。例え、私が感じている神が幻に過ぎなかったとしても過ごした時間は永遠に記憶に留まるであろう。
私は親には全く見放されていた。代わりに神様が面倒を見てくれたんだとしか思えない。そのせいかどうかは知らないが、なかなか人間の言葉を話せずにいたように思う。
単に他の人とは違う感性を持っていたのだろうとは思う。
そんな私を受け止めてくれた人がいる。妙なことに殆どが男性と言われる人種だ。女は私を嫌う人が多いのは何故か?私も女は好きじゃないから構わないのだが。女でも男勝りの人は別だ。
男は精神的な人が寄って来ていたのが特徴かも知れない。
今日、パチンコ屋で客の顔を見ながらため息が出た。男は単なるおっさんになり、女はおばさんだ。若い子を見ていても多分、新坂や石川さんのような男にはならないだろうと予想が付く。
何が違うのだろう。私が出逢った男たちの数名は明らかに他の人種とは異なる。石川さんはある大手の専務まで登りつめたが、専務と言う椅子にかじりつくようなタイプでは無かった。
[僕を誘っていただけませんか]
愛する人に導かれ歩く人種がいる。愛する対象がいるから頑張ると言う非常に単純な動機で山の頂上まで歩く馬鹿な奴がいる。
石川さんの誘い文句の意味は(愛する力)を指しているのだと思った。
誰でも愛されたいと願っている。石川さんは知っていたのだと思う。愛さずにはいられない奇妙な生物の存在を。
昔は片っ端から愛してきたように思う。今は愛する対象が限定されてしまった。愛せない悲しさがある。誰でも良かった頃は楽でもあった。いろんなことが逆転するのかも知れない。私を誘ってくれるような愛には出会えない寂しさがある。私が過去に逢った男と今好きな人はやはり同じ人種だ。
どっちかだな。愛されたいとしか願わない弱い人間か、愛する強さのある人間かのいずれかしか私には寄っては来ない。中途半端な奴は私を避けて下さる。
私も興味がない。
愛するにせよ愛されるにせよ努力は同じなんだと思う。
単純極まりない生き方が出来る人は極少数だ。後の連中は未来や明日のことを考え、今日を失う。
自分の生き方に誇りが持てるのは彼らのおかげだと思っている。
どんな人から愛されたかで自分が見えてくる。私もまた彼らのように生きていたい。いつまでも少年の心のまに。
多分、女でもそれは同じに思える。ハンサムガールと言う言葉があるのだが、自立した女と男は中性的な匂いがする。
[おまえのような女に会わなかったらいいんだ]
仕事もせず家で遊んで暮らしている息子を案じて相談したが、返ってきた言葉がこれだ。
かりに、彼が駄目人間になったのが私のせいだと思っていたとしたら、依存症でしかない。
どんな美人でも三日で飽きる。同じ人間ではあるが、やはり日々成長があって欲しい。別に偉くなれとも思っていない。パートナーとして仲良くやれたらそれだけでも良かった。
それすら無かった。キャッチボールの出来ない人間との生活は不毛だ。
しかし、今更何も話すことはない。話す前からセリフは決まっている。美意識の欠片もない男との生活は苦痛でしかない。
私はあまり何かになりたいと言う願望はないのだが、毎日楽しく生きていりゃ未来は明るいものが来ると信じている。
但し条件がある。
毎日グータラにだらしないのは嫌だ。嫌な気分を引きづり生きる人間が嫌いなだけだ。
最も嫌いなタイプは自分の感情のコントロールが出来ない人間なんだと思う。
秋山ジョウジの漫画に[はぐれ雲]と言う脳天気な男がいた。あれは男だか女だか分からないのだが、どっちでもいい。
一緒にいて、適当に生活できりゃいい。明日のことや未来に心奪われるより今を楽しく、誠実に生きていたい。
何となくなんだが、日々の積み重ねが未来の自分を創造するのだと思う。
誰だって暗くて陰気な人の側にはいたくないんだ。
いつでも太陽に明るい方に向かって咲く花のように生きていたい。
[人は見えているのに自分は見えていない]
具体的にはどう言う意味なのかは分からない。人と接する時、自分の行為が他人に如何なる影響を与えているのかで自分が見えてくる。ことさら自分を見ずとも他者を通し感じる[私]がそこにいる。
人は鏡と言われる由縁は行為の中に自分の人間性を垣間見るからだろう。
忘れられない人がいる。(あれは誰だったんだろう)
思い出すのは背中ばかりだった。その懐かしい光景がある人との思い出であったことも忘れ、ただ光景だけが鮮明に残っている。
あることがきっかけでその人が(誰)であったのかに気づいた。顔さえ覚えていないのだが、ふっとした瞬間に仕草だけが蘇る。
一つの仕草が波紋を描くように、一つ、一つと思い出が蘇ってきた。
だが、最後の瞬間になると悲しみに変わる。
同じ雪景色の中に二つの異なる思い出がある。いい思い出だけが心に残る訳ではない。幸せと悲しみは背中合わせにあるのだろう。
嫌なことは切り捨ててしまいたいのだが、出来ない。
ダメージを与えるには十分だったろう。真実は違っていたのだが、彼には言い訳の仕様がない状況だった。
好きな人が別の男と雪道を前から歩いて来る。それだけで別れる理由は十分に思える。
それでも私は思った(本当に好きなら私を引き戻して)
厚かましい女だ。
あれほど残酷なことをしながら、どんな私でも許されたいと思っていたのかも知れない。
だが、許せることと許せないことがある。いくら心から愛していても許せない行為がある。
二人だけの暗黙の行為を見知らぬ人と共有された時かも知れない。
私と彼を結んでいた暗黙の約束があったのだろうとしか言えない。ただそこに込められた思いに食い違いがあった。
失った後で、取り返しの付かないことをしてしまったのだとは感じていた。
それでも私は愛は簡単には終わらないのだと、厚かましい気持ちがあったのだろう。
追いかけても来ない、引き止めもしない彼を(愛してはいなかったのだ)と思った私は大いなる勘違いをしていた。
愛していたから許せない行為がある。
見えない絆がある。音もたてずに言葉にもならず、傍らを過ぎて行った時に、サヨナラ…と言ったのかも知れない。
言葉で聞いていないのだからまだ終わってはいないと信じたいのだが、心は無言になるほど固い決意をする。
無言の理由の意味を改めて聞くまでもない。私がした行為は彼を通して語られている。
(君が僕にしたことが全てだ)
私の心には大切な人しか入れない空間がある。誰にでもあるのだろう。
そこに違う人間がいることを拒む心がある。まるで愛する人の指定席のように。


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