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燃えるような熱さ 野獣のような荒々しさ…そう言うものを感じれるのは君でしかない アスファルトのジャングルで野生の血を嘆き悲しむように猛々しく血をしたたれせ悶える あらゆる抑圧から逃れ逃れ 孤独な野獣となった 何故、私は君からだけ懐かしい故郷の匂いを感じているのだろうか 私は君を少しも恐れてはいない 恐れているのはむしろ君ではないのか 自由と解放を求め君の血が騒ぐ 言葉で君を表現出来ないもどかしさが私を苛つかせる 無防備、大胆、鈍感…さぞかし君にとって私は狙いやすい獲物ってとこだろう 野獣の君は絶えず辺りの気配に怯えながら生きてきたのだろうね…孤独、君から漂う闇が私を誘う 温もりが…赤い血を煮えたぎらせ悶えのた打つ君は妖艶にすら感じれる 苦しいだろう、もっと苦しむがいい。苦しみに耐えられなくなった時、君の本性は愛によって解き放たれる 君を縛っている鎖を断ち切れ 欲望に身を任せ愛する者をなりふり構わず奪い取れ 君は人間と言う野獣なんだ ただ愛だけを求め冷たいアスファルトの夜をさ迷う
野獣
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愛のない大地に生まれた人間が如何に悲しい運命を辿るか 私自身のこの身をもって味わい、空虚に喘いだ 芥川は宿命は後悔の子と呟く そして彼は死んだ 不毛の大地に生まれた人間の心は氷のように冷たい 芥川も太宰も夢見ていた世界を現実に見ること無く去っていった 文学は人の憧れや真理を伝える為にあるのだが、自分が幸せでない文学には冷たさしか感じれないのかも知れない [私はこの世界に愛する者がいるから生きている]世界中から愛されなくてもただ一人の人から愛されたならそれが芸術に思える 溢れる胸の内から迸るように生まれくる言葉なりを紡ぎたい
サライと私がキスするとサライのほっぺにあるほくろと私の涙ほくろが重なるんだと気付いた ほくろが寄り添うって面白いね 小学校の頃好きだった玉井君もほくろがあった 運命などと言うものを容易く信じるほど私は単純ではないつもりなんだが、そこだけが印象に残っていて サライの時もほくろが印象に残っていた 店員さんにサライのことを尋ねた時[背広が似合わなくて、左のほっぺにほくろがある人]って聞いたら、ほくろより背広が似合わないで伝わったような… サライと私の出会いは偶然なんだが、目印は背広が似合わないってことかも知れない。感じたことを信じて歩く…何の保証もないのだが、人間の中の感性なるものが正しい道を示しているように思えた 現実から遠く離れた世界から微かに呼びかける囁きがあるようにサライと私の不思議な共通点は神様の仕業にすら思える時がある 不確かな感性に勇気を与える為に現実的な共通点を付け加えたような。 サライの独占欲は子供のようにすら感じる 大人になるって何だろうね いろんな純粋な欲望をガラクタに代え
てしまうことなのかな まさしく悪魔の子サライと名付けたのは当たっていた 多分、子供って悪魔の子みたいなもので母親の愛情を独り占めするなら何でもやらかしてしまいそうなところがある 私から見たサライは子供のような感じなんだが、別の人から見たサライは父親のように見えるってのも不思議なんだ 愛に国境はないと言うが、事実なんだなぁと思う 先日、会った子もそうだが、まさに電撃的としか言いようのない出会いがあったりする 心に直線響くような何かが
サライは私の様々な側面を引き出してくれる打ち出の小槌のようにいろんな気分にさせてくれる 親も子供も自分の意志では選べないのだが、好きな人は選べる それがサライだった 出来たら好きな人のもとに生まれたかったと言う願望が人にはある
今時こんなこと考えている奴はけつが青い野郎だけだぜ とか言いながらずーと考え思ったりしていた訳よ 多分、普通の家庭でもなく環境も最悪だったからなんだろう 何で人は生きるのかを考えずにはいられない苦しみが私につきまとっていたとしか答えられない そう言う環境に生きざるを得ない無力な者たちが神を創造し崇める しかしだ、私は人間の中にこそ神に似た存在を感じたりもする 苦しい環境に生まれた私はあれこれと生きる意味はどこにあるのかを考える羽目になってしまった訳だ 人間は長生きしたところで100年程度しか生きれないんだな 生きる為に生きる そのイメージは蛇が自分の尻尾とも知らず自らの命を食い尽くし生き長らえているようにすら思う ただ決められた時間を命を削りながらエスカレーターに乗っているような惨めさを感じるのは人間だけなんだよ そう言うことを感じたり考えたり思ったりする悩める動物なんだ そう人間は悩めるから面白い存在にもなる 死ぬほどの苦悩に身悶えしながら暗い孤独に耐え忍び力尽きた者には死は優しい慰めになる
そこまでの苦悩を味わった人間だけが人の苦しみに対して真実の救いの手を差し出せるものとも思う訳だ 私が病院に勤めていた頃山名さんと言う患者さんに会った 彼は特別室に入っていて意識はあったんだが、自分の意志を誰にも伝えられない状態で 私があの時の彼の真実の声を聞いたのかは正直言って確信はないのだが 彼が私の姿勢を真似、手を胸の上で組んでいた時、私は自分の気持ちが伝わったのだと感じたんだなぁ 愛し合う者は似姿になるって言うんだ 多分、神様ってのは人間の理想的な在り方でひたすら近づきたいと思う心が神のごとき神々しい姿になる 愛は神なり神は愛なり 山名さんは私を最後に愛してくれたんだ 私が山名さんを愛したように 結論、人は愛の為に生きてるんだ
何度も現れる天使がいるように思える 随分、前に私はある人からハガキを頂いた 文面の最初に[まさにその日の天使でした] 八方美人の私は誰にでも愛想を振りまき、ある馬鹿男からは[そんなにみんなに好かれたいのか]とまで言われて気分が悪くなったのだが、笑顔で接していると自然に皆笑顔で応えてくれるんだよ サライならきっとこう言ってくれるんじゃないかな[君の笑顔が一番好きだけど、僕以外の人に見せないで]
不器用なサライ 無愛想なサライ そんなサライが私に見せてくれた笑顔は魂の花のように温かくて愛の香りが辺り一面にこぼれていくようだった そこではたっと思い出したのだが、随分前に書いてあった詩の意味、あれは愛の意味を教えてくれていたんだ 愛は語らない 語らず溢れくる 多分、愛してるなんて言葉なんかじゃなく存在そのものが放っている空気みたいなものなんだろう 昨日の子供もそうだが、私の側には自然と人なつっこい顔をした子供たちが寄ってくる その子供の顔とサライは同じなんだが、サライは年くってっから素直さがイマイチないんだろうな 子供は素直に自分の感性を信じている 感じたことを疑わないから真実になるんだと思ったりもするんだ 疑うのも大事なんだけど、素敵なことは信じたいなぁ みんなが幸せになれるって確信したから子供の頃から[笑顔でいなさい]と言う戒め?を貫いてきたように思う 最近、ちょっと控えていた 誰にでも愛想を振りまくのは止めようって…そのせいで大切な人を失うのが嫌だったんだが、思い
やりと愛は違うのだと気付いた サライに見せたのは笑顔だけじゃないでしょうが


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