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新坂、心が乱れると君と過ごした日々を思う 私だけが一方的に不安を抱え怯えていただけで、あの頃の光景にはただ静かに降る雪のような日々があった
雪の降る横断歩道で新坂が黙って私を見ていた時一瞬全てが凍りついてしまったように思えた どんな気持ちだったのだろうか 新坂は感情をあまり表に現すことが無くて、一見冷静に見えた 新坂の心のうちは私には分からない ただ、あの後、アパートを出て行く日に玄関で会った新坂の心は私が知らない人だったのだけは確かだ
新坂が穏やかだったのは私への信頼があったからなんだろうね それを私は裏切ったんだ 残酷だったかも知れないけど、かえって良かったんじゃないかな 好きか嫌いかで悩んでいる私より目の前に現実を突きつけられた方が諦めは付けやすいと思う 確かにいっときは傷つくかも知れないのだが、気持ちは切り替えられる 私は新坂と付き合いながら不安でいっぱいだった 新坂、死ぬことより不安に怯えて過ごすことの方が苦しいんだよ 新坂が私に抱いていた信頼が私に届かなかったのは私に自信がなかったからなんだが、今の私なら率直に聞いていただろう[私のどこが好き?] 単純なことなのに出来なかった 聞くことで自分には見えていなかった私と言う存在が見えてくる 多分、無意識のうちに自分を知りたくないと言う思いもあったんだ 無意識の中に眠る自己は良きにつけ悪しきにつけ身を潜めた潜在的なものでしかない 自分の無意識に気付く度に新坂が愛した私に気づいていく 根本的な人間性への信頼と言うものがある
それは恋愛を超えた人間性への揺るがぬ確信なのだろう
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満面の笑みを浮かべてアホな私を楽しんでくれていた人がいる あの頃の私に帰って来たはいいんだが、肝心要の新坂がいない [にいざか~]と呼ぶ代わり[サライ!]と叫んでる私がいる ちょっとリズムが違うなぁ 二人ともどっちかと言えば体育会系なんだが、私の好みは優男なんだなぁ 要するに(男)を意識させないような親近感の持てる存在 親近感であって厚かましく、馴れ馴れしいと勘違いされては困る [真の友情が生じるのは、個々人が自分の個性を忘れず、自分と他と同一視することのないときのみである] 異性ではあるが異星人では話が通じないだろうが この世界は男と女と言う対立物?からなってるらしい なんで対立してんだか私にはサッパリ分からんのだが
先日、私はとある所の職員から[多重人格?]と怪訝なお言葉を頂いた 多重ではない!多面性だ 意識はしっかりある ついでに監督は神様ときたもんだ 舞台裏には何人もの役者が出番を待っているのだが、なかなか出番が回って来ず、イライラしている役者もいる まっ!今の世の中はマニュアルだけの人間が殆どだから、そんなに多くの役者なんぞいらないのかも知れないのだが、なんせ私が飽き性なんでワンパターンを嫌う 多趣味な方は多い 彼らは裕福な家庭の育ちなもんだから やれ、ゴルフだ、やれ海外旅行だのと身を粉にして走り回っている 彼らのお陰で経済も潤っている次第でございますが、私のような貧乏人には手が届かない次第でございます 画して私はもっとも安上がりな多面性、多様性に活路を見出さざるを得ない運命を辿った、んだか、元来そのような 資質を持っていたのか定かではない 少なからず貧乏が私の性格や資質に与えた影響は多々ある しかして、その萌芽は生まれ落ちたその日から私の内部に根付いた資質でもあるのだと思う
シェークスピアは[人間は役者だ]とのたもう 確かに!だが、役者でも大根役者では白けるだけだ 神様も喜ぶほどの役者になったはいいが、肝心要の愛する人は遥か彼方の過去の人になり、サライには誤解を受けていては意味ないじゃんか 私、一般大衆に受けるよりか新坂に喜んで欲しかっただけなんだが…帰り着いた所には新坂はいなかった 代わりにサライがいた
サライ!私は役者だが、君を愛するがあまり演技に拍車がかかり止まらなくなった 舞台のはずが本気になったってとこだなぁ それもこれも一重に新坂と同じように[まんがは面白いね]って喜んで欲しい一心でしかないのになんでサライは怒るんだ 多分、最高の舞台は愛する人と演じる日々なんだと思う
あなたの喜ぶ顔が見たいだけなのです 私は貧しく、私があなたに差し上げられるのはこの笑顔と変幻自在だけなのです あなたが喜んでくれるなら私は如何なる姿にもなります けれど、この心の真実だけは眼差しでしか語ればしないのです これは真実の告白なんだが、あまりに煮詰まると悲劇になるもんだ
でも、役者さんと一緒になったらなるべく互いに相手の舞台は見ない方がいいかも そう言う場面を見ても苦にならないほどの信頼が無くてはしんどいと思う
目が合う、目を合わせる 常日頃私たちは何気なく人と偶然目が合ったりと言う経験をしている 振り返ったらたまたま目が合う時もある それらの現象は偶然で、意識的な目ではない 雑踏の中で恋人同士が目を合わせるのは明らかに最初から互いに相手を求めた意図的な心理によるものである ある調査によるとうまく行ってるカップルの殆どが最初の印象、つまり一目惚れかららしい 昔と今の恋愛事情は出逢う場所こそ変われどその根底は変わってはいないのだろう 一目惚れ現象が如何なる心理から生じるのかは分からないのだが、サライと私の場合はサライが最初に私を見つけ、サライからの密かなアプローチを感じたのは確かだが、それ以前に私はサライを認識していた 無意識のうちに互いが片思い現象をおこしていた 目と目が合う現象は互いの本心を確かめたいと言う意識的な現れに思える 個性化への道を歩く者には苦難の数々が待ち構えている よっぽどのご褒美なりが約束されていない限り好き好んで個性化への道を歩く者はいない 個性化とは孤独な歩みで自分の中に確信のよう
なものを持ってるが故に独創的な人生を歩けるものだ
私の場合嫌いなものを避けて歩んできたのだが、サライの場合好きと言う単純な選択から歩いている 好き、嫌いは一見異なって見えるのだが本質は同じだ 嫌いなものを避けたら好きなものが残る 好きなものを選ぶと自ずと嫌いなものが見えてくる、の違いでしかない 個性化への道は意図的では無く予めその人なりに備わった資質に基づいた単純な好き、嫌いの感情から始まっている 好きこそものの上手なりとも言う 単純な動機から次第に高度な意識なり次元へと辿り着くのが個性化への道とも言える
えてして、この類の人種は[我が儘]ともとれるのだが、彼らの選択には多大な犠牲が捧げられているのだと言うことを理解していただけたならと思う次第だ
人参が嫌い程度なら問題にはならないのだが、人間の在りようや生き様にまで及ぶと孤独は避けられない運命にもなる
そのご褒美が世界に一人しかいない個性的な人間であろう
私の場合、あらゆることが我慢できるのだが、唯一我慢も妥協も出来ないのが人間なんだと思うこの頃
新坂とサライは同じ体質だった 偶然の出逢いとは思えないくらい二人には共通した部分がある 体型的にはマッチョなんだが、それはスポーツに適した体型とは違うのだと思う 何と説明したら良いのか分からないのだが、サライから感じるのは愛と情熱みたいなものでしかない
アダムとイブが誕生した時に男と女は互いの半身として、形の上で肉体と精神に分離されたのだろう 女が男を内面から支えるように男は外界から女を守る役目を担ったのではと思われる 世界は内的なものと外的な世界から成り立っている 新坂やサライが私に見せた姿は太古から受け継がれた意識の現れに思える
私と新坂の関係は正に子供と保護者のような関係にしか思えなかったのだが、本当の意味は違っていたのかも知れない 私の中に新坂はイブを感じていたのではないだろうか 私がサライにアダムを感じているように(守りたい存在)としての太古的なシンボルのようなもので、そのシンボルが男の本能を目覚めさせる役目を担っている 私はサライに逢ってから多くの男性に接しているのだが、彼らは明らかに男性ではあるのだが、男としてのシンボルではないのだと感じている 忘れてはならない男と女の原型があるように思える 新坂との関係に付いては今では憶測でしか語れないのだが、あの時、私と新坂が結婚していても子供には恵まれなかったのだと思われる そのために巡り会ったのではないのだと言う感覚はサライに逢ってから感じている 男と女の役割分担が曖昧になっているこの時代に本来の互いの存在意味を知らせる必要があるのではないだろうか 単なる妄想であるのかも知れないのだが、サライと私の間に流れるものは太古から流れきた神秘の力を目覚めさせたように思う 本当の男の本
能は闘争本能なんだと思う 愛する者を守りたいと言う思いと信念に貫かれている それを失った男はもぬけの殻に過ぎない 女もしかり 互いに異なる存在ではあるが離れ得ぬ関係がある 相互理解は世界への理解の在り方も示しているのではないだろうか 異なる性として尊重する姿勢は世界のあらゆるものへの相互理解に繋がるようにも思う 互いが必要を認識したなら争う必要などなく、極自然に手を差し伸べあえるように思う 何故なら、愛する者の苦しみは私の苦しみなのだと言う認識の拡大でしかないからだ
満面の笑みを浮かべてアホな私を楽しんでくれていた人がいる あの頃の私に帰って来たはいいんだが、肝心要の新坂がいない [にいざか~]と呼ぶ代わり[サライ!]と叫んでる私がいる ちょっとリズムが違うなぁ 二人ともどっちかと言えば体育会系なんだが、私の好みは優男なんだなぁ 要するに(男)を意識させないような親近感の持てる存在 親近感であって厚かましく、馴れ馴れしいと勘違いされては困る [真の友情が生じるのは、個々人が自分の個性を忘れず、自分と他と同一視することのないときのみである] 異性ではあるが異星人では話が通じないだろうが この世界は男と女と言う対立物?からなってるらしい なんで対立してんだか私にはサッパリ分からんのだが
先日、私はとある所の職員から[多重人格?]と怪訝なお言葉を頂いた 多重ではない!多面性だ 意識はしっかりある ついでに監督は神様ときたもんだ 舞台裏には何人もの役者が出番を待っているのだが、なかなか出番が回って来ず、イライラしている役者もいる まっ!今の世の中はマニュアルだけの人間が殆どだから、そんなに多くの役者なんぞいらないのかも知れないのだが、なんせ私が飽き性なんでワンパターンを嫌う 多趣味な方は多い 彼らは裕福な家庭の育ちなもんだから やれ、ゴルフだ、やれ海外旅行だのと身を粉にして走り回っている 彼らのお陰で経済も潤っている次第でございますが、私のような貧乏人には手が届かない次第でございます 画して私はもっとも安上がりな多面性、多様性に活路を見出さざるを得ない運命を辿った、んだか、元来そのような 資質を持っていたのか定かではない 少なからず貧乏が私の性格や資質に与えた影響は多々ある しかして、その萌芽は生まれ落ちたその日から私の内部に根付いた資質でもあるのだと思う
シェークスピアは[人間は役者だ]とのたもう 確かに!だが、役者でも大根役者では白けるだけだ 神様も喜ぶほどの役者になったはいいが、肝心要の愛する人は遥か彼方の過去の人になり、サライには誤解を受けていては意味ないじゃんか 私、一般大衆に受けるよりか新坂に喜んで欲しかっただけなんだが…帰り着いた所には新坂はいなかった 代わりにサライがいた
サライ!私は役者だが、君を愛するがあまり演技に拍車がかかり止まらなくなった 舞台のはずが本気になったってとこだなぁ それもこれも一重に新坂と同じように[まんがは面白いね]って喜んで欲しい一心でしかないのになんでサライは怒るんだ 多分、最高の舞台は愛する人と演じる日々なんだと思う
あなたの喜ぶ顔が見たいだけなのです 私は貧しく、私があなたに差し上げられるのはこの笑顔と変幻自在だけなのです あなたが喜んでくれるなら私は如何なる姿にもなります けれど、この心の真実だけは眼差しでしか語ればしないのです これは真実の告白なんだが、あまりに煮詰まると悲劇になるもんだ
でも、役者さんと一緒になったらなるべく互いに相手の舞台は見ない方がいいかも そう言う場面を見ても苦にならないほどの信頼が無くてはしんどいと思う


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