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私にとって美しい人とはマザーやヘレンケラーのような人でしかない 私が男なら大事にしたい女とは彼女たちのような女性でそれ以外の女は欲望の対象でしかない 男には放出の快楽がある 欲望のはけ口のように女体に放出する時の気持ちはゴミ箱に汚らしい汚物となった欲望を投げ込む感覚に近い 大抵の女がそう言う女でしかない 生命力と欲望は切り離せない関係にある 使われないエネルギーが次第に濁っていくのを食い止める為に売娼婦のような薄汚れた女を利用するだけなんだ ある種の憎しみに近い感情であるのかも知れない
私は何度も書いたと思うのだが、同じ人間であったとしても生きるに値しない人間が確かに存在する 神なら無差別殺人をするであろうが私は人間だ 人間としての美意識と心を持っているのだと言う誇りがある 街行く女の胸や腰のラインを見ながら淫らな男としての私の意識が冷淡な視線を注いでいる 肌を大胆に露出した女は無意識であろうが、女を振りまいている せっかくだから思う存分楽しませていただくか 据え膳食わぬは男の恥、かどうかは知らぬが性欲と食欲は似ている 空腹と過剰エネルギーの違いでしかない
強姦する側に美意識があるなら、餌にしかならない女だけを襲うだろう 崇拝するに値しない女だけを 女の意識から男を見る時だって同じだ 金だけが全ての男を利用する女を悪女と言うらしいが、それだけの価値しかなかったんじゃない 男も女も馬鹿ばかりじゃない 数は少ないがマザーのような女性も確かに存在していた
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辞書で孤独を調べたら[孤児、子無き親]としかのっていない 現実的な孤独ならそうだろう 孤独死ともいうのだが 寺山修司の言葉が頭から離れない[疾走していた寺山修司はふっと立ち止まって、自己確認を行おうとした時、不意に故郷が現れた 憎むほど愛している故郷が] それを寺山は場所でも人でもない、と付け足している 恐らく孤独と言う寺山の中にある世界だったんだろう パーセンテージからいくとこの世界を内包しているのは圧倒的に男が多い 孤独は男にとっての子宮のようなものかも知れない そこから自分の分身を生み出すように芸術を創造する 芸術家にとって作品は我が子同様なんだろう 女が腹を痛めて生んだ子を愛するように男は孤独と言う子宮から生まれた芸術を愛する [芸術家は家族を不幸にする]女にとって子供は自分の分身であるのだが、男にはそうではないのだと思う [孤独なふたりから一人をひくと人間では無くなる] 孤独な人は空虚な宇宙にポッカリ浮いていて現実の接点がない 桑田佳祐の歌詞に[マ
イナス100度の太陽みたいに心を湿らす恋をして]この表現いいな 凍えた心に焼け付くような憎しみがある それが破壊的になるか創造的になるかの別れ道は孤独に埋没しないことだなのだが、ある日ふっとふっと空洞が現れる 現実とは何の接点も感じれない世界でマイナス100度の太陽に焼かれるように憎しみと愛着に襲われる
他人だと言う自覚 私の母親や子供もそうだが 例え血が繋がっていても個体であるのだと自覚しない限り相手に自分の考えや感じ方を押し付けてくる 自分が生んだ子供と言う意識から抜け出さない限り個人として認識は出来ない 寺山修司は[人はまず自分の記憶から自由にならねばならない]と 誰がいるだろうか理想的な家庭、理想的な親、理想的な環境に生まれた者が 極僅かな人を除いて何らかのコンプレックスなりを抱え生きている 憎悪がエネルギーになり創造もなされる [長距離ランナーの孤独]と言う映画を引き合いに出し寺山は語る 泥棒の家に生まれたコリンは走ることだけが得意だった 走って逃げることが彼の人生には欠かすことの出来ない必要だったからに他ならない かっぱらいを働いては逃げつづけたコリンは足だけは早かった 生まれた境遇から人は何らかの特技なりを見いだしている 生きるための知恵でもある コリンは必死になり逃げつづけたんだろう コリンはその武器を使って世の中や欺瞞に満ちた人々に復讐した
長距離ランナーの孤独を引き合いに出し語る寺山修司の言いたいことは痛いほど私には分かる
好き好んで泥棒の家に生まれて来る者はいない 寺山修司にも人には話せない過去がある 抱えている過去が暗いほど人は魅力的でもある
誰も経験出来ない独特の世界観がそこにはあるからだ 私と母親が相容れないのは彼女には自分だけの感性と言うものがないからに他ならない 叫んでも届かぬ叫びがある それを孤独と言うのだ
現実逃避だった 砂漠のように乾いた日常から逃げるように理想を追いかけていた 恐らく多くの芸術家がユートピアを求めて現実の中で孤独を感じていたように [自分が幸せでないのに幸せの歌なんか作れる訳がない]そう呟いて自殺をした人がいる 未来は自分がいるこの大地からしか芽吹かない
愛する人が傍らにいる…それだけのことで満ち足りた気持ちになる 同じ景色なのに、どうってことのない日常なのに輝いて見える ふたりで手をつなぎ歩いているだけなのに道の先には未来と言う漠然とした世界が見えてくる 孤独な人は大勢いるのだろうが私の孤独はただひとりの人にしか伝わらない何かがある 言葉を超えた会話がそこにはある 同じ温もりと同じ孤独 遠い昔から知ってたように感じるのは住み慣れた孤独の匂いなんだろう 愛せなかった現実は変わらなくても許せるようにはなる それだけで救われる 孤独な私の心を満たしている存在がいる 闇にポッカリ浮かんでいるような心に響いてくる鼓動が温かく脈うつようにふたつの孤独が無言で語り合う 遠い宇宙から愛する人を見つけ舞い降りたようにすら感じる 愛せなかった現実に愛する人がいる 乾いた砂漠にオアシスを見つけたように安らいでいく心がある 神様はイタズラに人間を男と女に引き裂いたのではないのだろう 自分よりも、自分の命よりも大切に思えるものがあるのだと教えたかっただけ
なのかも知れない 自分に縛られないがために 自分から自由になるために
頭で考えることと心で思うことは違うんだな 思いやりとは頭ではなく心から生まれてくる そんな人に会うと温かさを感じるのかも知れない ユングが白人は頭で考えるから狂っていると書いてあった 狂っているとまでは思わないのだが人間としてはどうなんかなと疑問に思う ボランティアで少しの間だったがアメリカ人と過ごしてユングの言葉の意味が納得出来てしまった いや、それ以前に私はサライに逢っていて人間にしかかもしだせない温もりを肌で感じていたから余計に嫌な気分になったのだろう 理性的で合理主義のアメリカはかって私の憧れの人種だった 多くの日本人がアメリカに憧れていたんじゃないかな 映画もハリウッドが作る映画は気分爽快な体育会系のノリで確かに気分は一時スカッとはした でもね、心から何かを誰かを愛したらアメリカ並みは寂しい そんなことを感じていた 正しいことって答えが決まってなくて凄く悩むんだと思う
コーデリィア姫ではないが[お父様私は思ってることは行動になるのです] そうだろうね アメリカ人の全てが彼らのような人間ではない アメリカ的な生き方が私は嫌いなだけだ 深く人を思ったりしなくていいから経済の発展や物への依存度が高いのであろう それで満足できるならかまわないのだが、私は嫌だ 閉塞感で酸欠になってしまいそうになる だからと言って感情的な暴力も好きではない アメリカの彼と心理学の話をしていたら[僕は浅く広く]と言っていたのが記憶に残っていて今でも嫌な気分として残っている 結果的に浅くしか付き合えない人も確かにいるのだが、最初から浅く付き合うと言う発想が寂しい 逆から考えたことあるのかな 相手からも浅くしか見られていないってことなんだ 誰だってそんな発想から見られたら軽んじた付き合いしかしないのではなかろうか 日本人のいいところは情が深いところなんだ 両方にいいところがある 使い分けが出来たらいいかなとは思う


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