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私は感じた事を話す人を信じる 心に目はないのだがあらゆる物事の真意を見抜く力が備わっているように思うからだ もう一つはこれはある本にも書いてあったのだが心はあらゆる人格を備えた器官でもあり、様々な経験の場でもある、と、私もそう感じる 私が本を読むのは自分自身が感じてることがどれだけ真実に近いのかを確かめたいのだと思う 偽りに満ちた世界で一つくらい信じれるものがほしい
太宰治が走れメロスを書いたのもそんな心理からだと思っている [間に合うかどうかは問題ではない 私はもっと大きなもののために走ってるんだ]
好きな映画に[長距離ランナーの孤独]がある 群集が拍手喝采しても決勝点はないのだ… 偽善に満ちた社会への彼の孤独な復習劇 私もサライも社会を信じてはいない 心で感じる人間は恐らく社会の歯車にはなれないだろう 時たま個人として信じれる人間に出会う それは太宰治が書いた走れメロスのような人間であり、長距離ランナーのコリンだ 心は奴隷にはならない コリンも大人しく感下院の偽善に満ちた院長の思惑通りにすれば感下院から出所出来ると分かっていてコリンはわざとトップ手前で後続者に譲り、その場に佇む [おめぇらの都合よくはならねぇんだ] 下品な人間がいる 損得だけで物事を考える人間 人を利用する事しか考えない人間
昨日は面接に往復三時間を自転車で走った 走りながら私は[苦労など屁とも思わない むしろ苦痛に対する特効薬でしかない]と思った
働く事も好きだが今の世の中にある仕事は人が生きるためにあるのだとは思えない
小学校の時の先生で体罰を与える事で学習能力を高めようとしていた先生がいた確かに一時は成績は上がった だがその先生が担任を外れると残ったのは嫌悪感だけでしかなかった 今でもあの日の光景と名前は鮮明に覚えている 肝心要の勉強の方はきれいさっぱりと忘れてしまったのだが 心は人間の全人格を備えた超越者でもあるのだと思う 損得では無く正しいと思った道を指し示すだけでしかない その道には多くの困難が待ち受けている
最近昔の無意識だった頃の自分と言う人間を思い出すことが多くなった 今の自分よりあの頃の私の方が好きだ 人を疑う事のないお人好しな私が 今は疑いつつも[走れメロス]のように信じれる何かがあれば…と憧れている
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[私死なない気がするの]晩年の宇野千代さんが言ってた言葉だが、私も以前に同じような感覚を味わっている 今とは違う意味でそう感じた 今の静寂は生と死が一つに溶け合ったような空間にいる感覚 ざわめきや不安のない状態にいると退屈なものだと思っていたのだが逆なんだ 独りになってから考えるより思うことの方が多くなったのもある ユングが[白人は頭で考えるから狂っている]と言った言葉の意味も頷ける 頭で考えるのは限度がある ボンヤリと孤独な中にいると様々な物事が語りかけてくる 現れては消えを繰り返す様はまるで浜辺に打ち寄せる波のようでもある 時折仕事のことが脳裏をよぎるのだが、精一杯頑張ればいいで納得してしまう 多分、死についても頭で考えるから可笑しな方向に行くのかも知れない 心に考える力はないみたいだがあらゆることを受容する能力でもあるんじゃないかしら 太古から受け継がれた様々な人間の歴史が心には刻まれているのだろう 死と言う問題は頭で考えるより大きな意味での[流れ]として感じ
た方が受け入れ易いとも思う 避けられない物事を如何に受け入れ易くするかだとは思うのだが、頭で考えると拒絶反応を起こす 心は経験の場とも言われる 人それぞれに個性がありプロセスは違うだろうが死に至る定めは揺るがないのだから 心は何度も死を経験してきたのだと思う
小野小町は人がいつか老いさらばえて花がしおれていくように一時の美しさの哀れを知っていた 私を好きになってくれた人は容貌では無く違う側面を見ていたのだと思う 若い時には価値を見いだせなかったものに価値を見るようになってから彼らが私の何を愛していたのかが理解出来るようになった
小野小町は気付いていたのだろう 言い寄る男たちが一時の移ろいやすい色に群がる蜜蜂でしかないことを ものの哀れを知る人間は移ろいやすいものに惑わされたりはしないのかも知れない
生きると言うことは確実に老いと死へ向かって歩いている 知っていて生きてる人の言葉は潔さを感じる 新坂が私に唯一自分の希望を言ったことがある[俺は後の世に残るものを作りたいんだ]新坂から聞いたのはこれだけだ 自分のことを話す人ではなかったが常に行動で語っていた 覆せない真実に[死]がある
ある人が私に[死ぬことが怖くはないのですか]と聞いたことがある 怖くないとは言い切れないのだが避けられない宿命に怯えて過ごすのが嫌だからとしか答えられない 死を恐れるのは人間の本能だと思う、だからこそ人間らしい生き方も出来る ものの哀れを知る人は優しいんだね サライや新坂が私の心を捉えるのは[儚さ]を知った上で生きているからなんだと思う
独り暮らしを始めてから以前より死に近い場所に陣取っているような親しみを感じている
私は小野小町のような美人ではないが私に言い寄る男の心理はある程度感じている 若い時はそんな男連中相手に寂しさを紛らわせてもいたが、虚しいだけだと知ってから適当になった
小野小町は別名[穴なし小町]とも言われていたらしい なびかない女をこき下ろすしかない男を相手にしなかった小町は賢い 言い寄ったり小手先のテクニックを駆使し落ちるような人間なら3日もたてば飽きるだろう
独りでただ生きるだけなら死を待っているだけでしかないなら虚しさを埋める為に火だるまになり生きる方がいい 虚しい…そんな思いが私を戦いに挑ませる
ふっとサライを想う サライと過ごす日々はのどかで何も無くても充実している 死ぬことも世の中の矛盾も人間たちの愚かさも許せる サライは私が生まれてきた意味にも思える もし、人々が心から愛する人に巡り会ったならきっと私のこの祈りにも似た思いを分かってくれるだろう ただ生きているだけで感謝も出来るのだと 神の存在だって認められる 科学では解明出来ない神秘が人々を生かしているのだと実感するだろう 愛することは神秘と神が人間のうちに宿るのだと言う事を証明するだろう 人々が私がサライを想う気持ちで愛し合うなら平和で平凡な単純な生活が最も豊かなのだと確信してくれる
私がサライを好きになったのは生き様だと思う 同じように自分自身の生き様から外れざるを得ないのなら潔く腹でもかっさばいて死ねたならいい 私自身を失うこととサライを失うことは同等の価値を持っている 恐らくサライも私の生き様を何となく感じて接近してきたのだろう それは私も同じだから分かる
乞食のように野垂れ死にした小野小町の最後の姿に人は憐れみと優越感を感じるだろう しかし、最後の瞬間に小町が抱いていた思いにまで想像は及ばない 大概の人は見た目だけでその人の人生を判断する そう言う輩から同情されるなんてまっぴらごめん被りたいのだが死人に口無しだ
病院に勤めていた頃に出会った山名さんを思い出す 朝出勤すると看護婦さんが山名さんが亡くなったことを教えてくれた [いい顔をしていた]その言葉が私には救いになった 避けられない死を穏やかに迎えられたと知って安心した
小野小町の人柄や生き様が理解出来るなら憐れみなど無用だと気づくだろう 小野小町は人が何と言おうが気にはしていなかったであろう なんせ[死んだら犬にでも食わせてやれ]の人だから 男らしい女だったんだろうなぁ 何もかも知っていて生き様を貫くのと知らずにあるのとでは雲泥の差がある まさに[分かっちゃいるけど止められない]だ


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