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あなたがいればいい そんな素朴な思いで満たされていく
それだけに怖くもなる あなたを失った私には生きている意味はない 孤独から生まれた苦しみから生きてる意味を探しだそうともがいていた [何のために私は生きているんだ]神に叫ぶように問いかけていた ただ苦しいだけの人生をせめて誰かの喜びに捧げたいとも思っていた 私には価値のない命でしかなかった あなたに会うまで私にとっての人間はみな同じ顔に見えていた のっぺりとした良くも悪くもないそんな感じだったから好き嫌いの感情すら湧いてこなかった どうでも良かったんだと思う
今日、街に出た デパートや商店街をウロウロしながら、浦島太郎になった気分だ 店内に並んだ商品を手に取り溜め息が出る 色褪せた品々の数々は私の心を捉えはしない 今では着たきり雀みたいに毎回、毎年同じ服を着ているのだが、夏の間は冬に着ていたセーターを思い出す 冬が来ればあのセーターが着れると思うと嬉しくなる
四季折々に咲く花のように毎年咲く花は去年と何ら変わらないのだが、やはり待ち遠しくなる 単調な日々を豊かに感じている 私が生まれて来てからこんな穏やかな時を過ごすのは初めてにも思う 先の見えない未来に対する不安より今私は確かに生きているのだと言う実感の方が強い その思いを支えているのがサライの存在でもある 朝起きるとサライに電話を入れる そんな些細なことが嬉しくて朝が待ち遠しくなる 季節が巡るように喜びが目を覚ます
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引っ越したアパートの隣にゴミだらけの部屋で生活をしている男性がいて何だか薄気味悪い気分だ 昔の私ならついお節介をやいていたであろうが今はなるべく[君子危うきに近寄らず] 夕方買い物に出ると階段の下で涼んでいる [良ければ中で涼みませんか]といいたい気持ちをぐっとこらえ適当な言葉で濁してしまう 見て見ぬふりではないが、何でもかんでもの私から少しだけ賢くなったのかな 掃除をしない人はどこかだらしなさを感じてしまう ささいなことを疎かにせず大切にしていれば自然と人間に対しても細やかな心配りも出来るように思えてしまう 新坂がそうだった まだ電化製品がそれほど普及していなかった頃に彼は贅沢にも洗濯機を持っていて私は特別に洗濯機の使用を許されていた 清潔感のある人で部屋も常に掃除が行き届いていてスッキリしたもんだ 真面目な人がいちばんかも知れない 寂しがり屋の私だったからつい笑わせてくれるような面白い人に惹かれもしたが結局、根がいい加減だと人間に対してもいい加減な扱い方しか出来ないのだろう
ぐちゃぐちゃになった住まいで生活していた幼少期にはなるべく帰りたくはないのだが、思い出させるような人に出会う度に[人間じゃねぇよ]とボヤいている パンの配達を終え帰ってくると、まだ涼んでいる どうも通り辛い 挨拶だけで通り過ぎようとしたら[殺虫剤はないか]と聞かれ[へっ?]としか言葉が浮かばない 話を聞くと傷口に蠅がたかって蛆が中まで食い込んでいたそうな つい[不潔過ぎない]が口を付いて出る 見るからに不潔極まりない人だ そう言う人を昔は可哀想にも思ったりもしたのだが、出来るのにしないのはただだらしないだけ ほっとこうの気持ちだ この男性に似たような女性が以前に勤めていた病院にもいた 休憩時間に男性が何やら話している どうやら彼女の事らしい [あの女だけは抱く気にもならないよな]私も同感だ 男も女も人を見る目がなきゃダメだ ついでに自分自身も見るともっといい
多分ね、愛されることを諦めたら人間じゃなくなるんだ
理解では無くその人間を丸ごと愛することは包み込む感覚で、多少の機嫌の悪さには動揺もしなくなる 以前の私なら相手を責めていたであろう 死んでる人間なら理解は可能だが刻一刻と変動し続ける人間は安定はしていない あちらに揺れたかと思えばこちらになびく まるで柳のように風任せに身を委ねている様は軟弱にも見えるのだが、しなやかともとれる 根っこがしっかり大地に根ざしていりゃ構わないんでないの そんな人間性の本質を垣間見れるだけの人間に少しはなれたかも知れない 私も物事が上手く行かない時は苛つくことがある 人に八つ当たりはしないまでも気分は相当悪くなっている 鏡を見るとうっとおしい顔がそこにある 明らかに辛気くさい顔だ 出かけるのも億劫になるのはこんな時 ウダウダしているうちに時間だけが過ぎて行く いくらよそ行きの顔に着替えたくても出来ない時がある 揺れる気持ちや気分も生きてるからこそ味わえる 感じている心があればこそなんだね
面接場所の食い違いで互いに口調がきつくなってしまった 前もって場所の確認をと思い電話で[場所を教えていただけますか]と聞いたのだが、電話の主が面倒くさそうな声だったので[自分で調べます]と伝え電話を切った 面倒場所に行くと誰もいない、電話をかけても出ない 時間が迫って来ても一向に繋がらずイライラしながらも諦めるしかなかった 多分、ご縁がなかったのだろう 自分を納得させ帰り道は溜め息の連続 物事が上手く行く時は自然に運ぶのだが、ギクシャクするとごり押しがかえって仇になる 諦めていた頃に先方から再び面倒日の指定と互いの言葉の食い違いを訂正しながら、(人と人が衝突することを避けていたら歩み寄るなどは不可能だ)と思った 私も相当頭に来ていて不愉快な気持ちをそのまま言葉にした 最初の頃は互いに自分が言った言葉に間違いはないと思いながら話ていたのだが、次第にそんなことはどうでも良くなった 先方も私と同じことを思ってたようだから 人間だから間違いはある どっちが間違っていたにしろ
必要なことは間違いを正すことであり自分の正当性を主張することではないからだ 私は穏やかな人付き合いを望んではいるが、それは自分を押し殺しただ相手に合わせるだけの付き合いではないのだと思う 独り暮らしを始めてから先の見えない未来は先行きが暗いだけの未来よりかはマシだと思うようになり、どうせ見えない未来なら自分らしく生きようと決意しているのかも知れない
私は何故サライを好きになったのかがはっきりとは分かってはいなかった 最初は懐かしい人に似ているからなんだと思っていた 確かに似ている 二人とも真っ直ぐに私を見ていた 私も社会に出て暫くはサライと同じ目で社会や人間を見ていた でもいつの間にか歪んだ視線を投げかけるようになってから世の中そのものが灰色に見えるようになったんだと思う そんな時サライに会った 忘れかけていた目でサライが私を見た時に思い出したのだと思う
サライと車の中で[そんなに一途にはなれないよ]と呟いたのだが、本当は一途に生きたかった 一途に信じれるものが無かっただけで、いつも心の中では探していたのかも知れない 真っ直ぐに物事を見たり偏見のない目で世界を眺めていたい 多分、今、世界が輝いて見えるのはサライの目を通して見ているからなんだと思う 私とサライは時々思惑が食い違ってしまう その度に悲しくなるのだが時間がたち冷静になるとサライが本当に伝えたかったことの真の意味が見えてくる
幼い頃神様を信じたように、私を苦しい目に合わせてもそこには何らかの意味があるのだと思っていた あの頃の信頼をサライに寄せている 真っ直ぐな目で私を見ていたサライを サライに会ってから私は変わった 私に敵意を持った人に対しても敵意で迎え撃つのでは無く、好意で接することが物事は改善されるのだと思うようになった 過ちは人間の特権だ 許し合うことが出来なかったら絶えず失敗を恐れビクビクと怯えながら生きなくてはならなくなる 寛大な心といちいち細かなことに拘らないアバウトさが良い人間関係を築く鍵にも思える


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