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まるで宇宙にポッカリ浮かぶ星のような気分だ 自分の周りに空間が広がり膨張していくように感じる 現実との接点を無くし、ブラックホールへと落下して行く 生きながら墓場に葬られた人間の心境はこんな風かも知れない 他人と自分の隔たりを嘘で埋めてきた それが嘘だと気付いてしまうと引き返せない
膨大な空間を何かで埋めようとしても受け付けない心がある 心が生み出した空間なのだろうか 臆病な心、傷付いた心は周りに見えない空間を広げる 傷つく度に現実から逃げ続けた結果なのかも知れない そうしないと心が棘でささくれていくからなんだが 棘だらけの心は嫌いだ 誰も抱きしめられない心はもっと悲しい
シザーハンズのエドワードを思い出す
愛する人を抱きしめられない悲しさを私も知ってる 子供の頃、猫を拾った あまりの可愛さに私は猫を抱きしめ過ぎて殺してしまうとこだった 自分の愛を知ると愛することに躊躇してしまう
孤独な人間は頑固だ 頑固だから孤独になったのか、彼らの美意識が災いとなり空間を生み出したのか定かではないが
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石川さんの夢を見た 夢なのに生きてる人間のように生々しい 昔の石川さんと何ら変わらない 夢は現実を省いてしまう [どうしているのかしら?]時々気になる
[僕が運転する] 助手席に飛び込んできた彼の表情は見てないが、[君の横にいたい…] そんな声を聞いたような瞬間だった 寂しがり屋は私だけではない 弱音を吐かない人は誰よりも孤独なのだと知ってる 何故、弱音を吐けないんだろう、と思う
何一つ不自由のない社会生活を送ってるかに見える彼にも埋めがたい孤独があるのだと振り返り思う 寂しい時、カラオケに行っていたのだが、孤独は発散できるようなものではないのだと感じてから行かなくなった
飲み屋でのことを思い出す 呑めない酒を飲んで酔っ払った私は、流れくる音楽に合わせ踊っていた それが私流の寂しさの対処法だから
石川さんは多分、静かに酒場で無言で語り合いたかったのかも知れない
今なら私にも私の孤独が見える いつの間にか身についた衣装がある 孤独に凍える心を暖める寂しい衣装 出来るならサライ、あなたの温もりを衣装に眠りたい
人の幸せは[愛する人から愛されること] 今なら確信をもって[サライ、あなたから愛されたい]そう言える
新坂が私を愛した理由をサライを通し知った [シーザーハンズ]のエドワードのような人間が現実に存在していても彼を愛するだけの強さを持ち合わせた人間はいない 本当に少数の人間だけがエドワードの中に価値を見いだす 美しく、純粋であることは一見白痴にも見える
選ばれた人間だけが価値を見ることが出来る 今はそう言える [普通の人]が私の憧れでもあったのだが、私の心は通わない 純粋でありたいと願っても学べるものでもないのだとも思う 天性の才能に等しく神が与えた資質でしかない
それが、如何に素晴らしいかを私はサライを通じて知ったのだと思う
ドストエフスキーが白痴を書いたように人間の憧れは古来から変わらない
札幌で新坂に会った時彼もまた私の中にサライと同じ資質を感じていたのだろう 今ならその素晴らしさを誇れる
[サライと別れるくらいなら死ぬ]そう私が言うと大概の人は[また、好きな人が出来るわよ]と、言う 細胞の隅々までサライの刻印が印されている人はいない
思い返せば、私にとっての男は異性に過ぎなかった 私と違う頭の構造をした異性を男と勘違いしていた 違うのだ 私と同じ構造を持ちながら外観が違う それが私にとっての唯一の[男]そのものだったのだと思う
異性では無く、私自身 私の精神が男の肉体を纏っている それがサライだ
父親の口癖が[医者になれ]だった 私はと言えば、そんな父親に反抗的で肩書きに縛られていない人が好きだった、ような 仕事が人を作ったりもするんだが、そう言うものに縛られずに自分を創造するのは心細くもある 人は誰かに認められなくては存在出来ないのだ、とは感じている サライに会う前は社会的に認められるような存在でありたい、と願っていたのは確かなんだが、サライに会ってからはただサライがいれば人間の証明は不必要に思えてしまう (生きてる…)刹那的な一瞬だけで十分に思える
楽しく生きてるだけでいい サライと私の生き方に対する考えは非常に似通っていて、互いに長生きにも社会的地位にも興味がない 働く理由は社会的承認の為では無い サライの言葉で記すなら[俺は金がないから欲しい物を諦めるのは嫌いだ 働けばすむことだ] サライにとっての仕事はその程度の価値しか持っていない、と言う事
私も同じだ 社会の中を見渡して自分が就きたい仕事がない、と言うのが本心
そうかと言って芸術家も好きじゃない
何も残さないのもいい サライと二人で過ごしていたら毎日が芸術みたいなもんだ サライに会う前は哲学や心理学の中から生きる意味を探すのに必死だった 今は意味なんかなくていい、と思っている サライがいれば意味なんか考える必要が無くなる
そんな気持ちになれるってのが最高の幸せなんだろう
臓器移植の時に肉親の臓器が使われるのはDNAが似通ってるから拒絶反応が出ないのと同じで、精神構造が似通ってる二人は自然に馴染んでいくように思える 自分自身との対話だけで生きてきたような二人が出会った、そんな感じだ
中にあった存在が外側に存在していた見知らぬ人、それがサライ もう一人の私 外と内側があって人は存在価値を知るんだと思う 父親のように医者になる事で社会からの承認を得るのもいいが私は愛する人がいれば十分
罪を償って過去を知る者がいなくなっても誰よりも自分自身が真実を知る者であることには変わりない 再犯率が高いのは周りの人間からの圧力もある 絶えず、犯罪者と言う過去を突きつけられたなら厚生は難しい 私が札幌に逃げたのも過去からの逃亡のようなものだ 母親の側にいれば田舎での話が頻繁に出る 忘れたい、と思っている私とは裏腹に母親は田舎の人に会うのが楽しみでもあったから余計に苦しかった 母親は親しかった田舎の人が来る度に私に尋ねた[覚えてる?]と、私が記憶にない、と応えると、母は決まり文句のように[あんたは冷たい]としか言わなかった 母を責めてた訳ではない 私をそっとしておいてほしかっただけだが 昔の母親との時間を思い出すと犯罪者の気持ちが分かる 母にとって懐かしい田舎の人たちも私には冷酷だった 小さな島だから、大概の人が知り合いみたいな感覚で遠慮と言うものを知らない それが、災いになる 人と関わるのは苦痛でしかなかった 札幌は良かった 過去から遠い距離にある、と、言
うだけで気持ちが楽になっていた 過去からの自由を願っても田舎では難しい気がする 他人の目は絶えず[犯罪者]としてしか見ない
職場で嫌がらせを受け、一旦彼から距離を取った (もしかして…)微かな期待を持って成り行きを見守りつつ、ある日、帰りがけに声をかけた 内心怯えつつなんだが ここで諦めてはいけない気がした 心のどこかで本来の彼では無く、感情のコントロールがうまくいかないだけなのだと思いたかった 人は心に銃を持っている 引き金を引くタイミングが来るか、来ないかでしかない
過ちは人間の特権だ 過ちの度に私は[謙虚になれ!]そう、言われているようだ 子供の頃や苦しかった時代を人が忘れるように[喉元過ぎれば暑さ忘れる]もいいが、忘れてはならないものもあるんじゃない


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