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君と逢ってからの私の物語は非常に楽しい。さっき散歩してきた。傍らにはいないが私は君と神様と三人で歩いている気がした。
散歩に行く前は悲しい気持ちでいっぱいだったのに、ふいに君のジョークを思い出し苦笑してしまった。湿っぽいのが本当に嫌いなんだ。帰り道はなんだか気が楽になっていた。君は私の希望と言った私の言葉に嘘はない。
4月14日は君の誕生日だね。何歳になるのかすら分からない。君の年さえ分からないのだ。知りたいとは思わないのだ。私は心の表現者だ。君は私が表現したくなる心を持っている。
君は私の物語にはなくてはならない存在なのかも知れない。豊かな感情と美しい心は何にも代え難い希望の星。私はどれだけ君のような人間を探し歩いた事だろう。
私の中に眠る世界がある。目覚める事なく闇に消えて行くしかないのだと半ば諦めかけていた矢先での出逢いに私は運命さえ感じている。
多くの人が忘れてしまった心がある。
捨てた人もいるだろう。
そんなもの何の役にも立ちゃしない、そんな風にせせら笑われすげなくされた希望。
だけどね。人間を苦しみや絶望のどん底から救い出すのは他にはないんだ。
君は知っている。それが何であるかを。人は希望を失えば未来は再び闇になるだけなんだ。愛を無くした星は塵に帰るしかない。
暗黒が次第に迫ってくる。見えない闇が人々を飲み込んでいく。不安に渦巻く心が何を意味するのかさえ気付いてはいない。大切なものを手放した人間は容易く闇に飲まれていく。愛は人の希望。
誰もが君が私を愛するように愛されたいと願っている。私が君を愛するように愛されたいと願っている。誰もが安易に求める。
最も美しく大切なものは命懸けだとは知らない。儚い命を永遠に輝かせるものに憧れながら、それを知らないんだ。
欲望にまみれているうちに忘れてしまったか、せせら笑われてしまったんだろうね。でも、最後はみなそこに帰ってくる。君と私が紡いでいる物語に。優しさが行き来する世界に。相手のことしか考えられない馬鹿な愛に。それは思いやりなんだ。
一方通行ではない永遠の巡りが人間を豊かにする。
戦後、日本が敗戦し絶望的な状況にあった時、救ったのは人を思いやる精神だった。
同じ事の繰り返した。人間は愚かだ。
肉体を殺さず心を殺すのは静かな殺戮だ。気付かれずに殺す。そう言うのはナチスがやっていた。
シャワー室と言い、安心させ実は毒ガスを浴びせたんだ。
同じ事をしている。幸せの為と言いながら心を売るのは同じなんだ。
だから、私はどうせいつか死なねばならぬ命なら君の傍らがいいと決めている。 生きるか死ぬかは神のみぞ知る。
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何度も書いたっけ。神様と私の話。
忘れたくないからなんだ、きっと。
何時も笑顔でいなさいの言葉なのかな、囁きみたいなもんだ。絶望の最中にいた私にそっと囁いた存在がいる。まだ、私が7歳の時だ。
本当に優しい声だったのが印象に残っている。多分、風の音をそんな風に聞いたんだろう。
最近、私はある人の為に笑顔を捨てたくないと思うようになった。なんだか、死を前にした人が愛する人に笑顔で別れを言う気持ち分かるんだなぁ。
[君の笑顔が素敵だよ]そう言った人がいる。神様の贈り物を私同様に大切にしてくれる人がいる。鏡を見ながら微笑む。本当は辛いのだが、愛する人には見せたくない顔がある。苦しめたくないからなんだ。
多分ね。[君の苦しみは僕の苦しみなんだ]そんな声が聞こえるからだと思う。鏡を見ながら[大丈夫、これだけは守って見せる]
形のない愛の姿。
無言で優しさをくれる人がいる。時々私は涙が溢れて止まないのだ。君は私を泣かせては笑わせる。優しさに泣き、ユーモアに笑い、そんな日々だ。
本当に神様と同じ匂いがする。私は君のいる空間ではまるで君の子供みたいになる。無防備な、厄介な、手のかかる子供だ。
そんな私だけど一つだけ強い意志があるんだよ。
君には絶対悲しい顔は見せたくないって。愛しているから。神様に等しく愛しているから。
やる事やったら後は神のみぞ知る。
神様の子供たちはみな脳天気な性格だ。天然ボケとも言われているが。どうも私はその類の人種が大好きと来ている。
戦後の日本にゼノ、ゼブラフスキーと言う宣教師がいた。彼はまっこと私に似ていると痛感した。
余り有名ではないが、人々に説教をして歩く事は無く、常に実践あるのみ。手当たり次第の困った人だ。
死ぬ前に[ゼノ、シヌヒマナイ!イソガシイ]の言葉を残している。この一言は非常に重みのある言葉だ。人を思う心は我を忘れてしまうほどだったのだろう。そんなゼノさんだから自然と周りの人が守ってくれたのかも知れない。
私は知人に[人はよく見ているのに自分は見えていない]と言われた。そう言われればそうかも。
思い当たる節が多々ある。しかしだなぁ、自意識がないから周りの人が何となくなんだが守ってくれて今日に至っている。だからと言って、他人の好意を当てにはしていないが、気が付いた時は嬉しく思う。
間抜けな神様の子供たちは人間に愛される存在に作られている。
ちまたでは会わないが書物などで会う。[あっ間抜けだ]
愛を込め呼ぶ名は神様の子供たち。
好きなんだ。そう言う自分が、たまらなく好きだから、どんな目にあっても手放したくないんだ。
死ぬかもよ。どっかでそんな声が聞こえなくもないが、まっいいか。
好きな自分で死ねたら本望だぁと言う訳で、気を取り直して、いざ!出陣。
神様負けたらごめんね。でもちょっとだけ助けてくれんかなぁ。
賢い人間は運命には逆らわない。そうかと言って運命の憐れみを買うこともしない。ある意味、潔いのだろうね。
好きな人の胸に抱かれ死ぬのは人間に生まれた者たちにとって最高の幸せだ。
私は私が大好きだから、そんな人の気持ちが分かる。
病院に勤めていた頃、私と同じ思いの人に大勢逢った。多分、元気だった頃はそんな事思いもしてなかったような人が病んで、死を待つしかないのを感じる時、天使が現れるのを待っている。
ゼノ、ゼブラフスキーのような。
私はそんな人の最後の願いを聞くだけで安らぎすら感じた。究極はそこなんだって。確信したから言えるんだ。
私のままに死にたいと。
私は恋愛ものは好きではないが気持ちは分かる。
互いに相手を守りたいと言う気持ちがある。余りの強さに下手に技巧を凝らしてしまう。出来たら自然体がいいのだが、好きと言う感情に気がつくとそうなるんだろう。
どうしても愛する人に届いて欲しいが為に他者を欺くのはいいが、肝心要の愛する人も他者の一人なんだ。敵を寄せ付けまいと仕組んだ罠に愛する人が落ち、苦しむ結果になる。
[キケン]の立て看板をジュリエットは見て、違う道を通ったが為に崖から転落し、あえなく命を失った。
さて、こんな場合どうしたもんかね。気持ちは間違っていないんだが、技巧を凝らし過ぎた結果が悲劇を生み出す。
私は中身だと思うのだ。例え愛する者に届かなくとも愛されているんだと感じれるかどうかなんだろうね。
自然体がいいんだが。意識してしまうとそうは行かない気持ちも分かる。
多分、恋人が間抜けでうっかり受け取り損なう事が何回もあったんだろうなぁ。[クソ!腹立つ!]
で、技巧に走り、恋人が愛する人の手口に気が付いた時にゃ時すでに遅し、相手は恋人に合わせる為に新たな手を考える。どうしたもんかねぇ。
[キケン]の立て看板は恋人を思うが為ではあったんだが、恋人も他の人同様にはまっちまうんだなぁ。これまた。
悲劇は喜劇だと言うが笑うしかあるめぇ。
こらぁおめぇ毎度私を見てんだろうが、手口を変えんじゃねぇ。ボケが!
私はガキの頃から妙な事にあらゆる困難は神様からの贈り物と信じて疑わなかった。確かにそうなんだが、それを如何に受け取るかまでは考えてはいなかったんだなぁ。
なんでもかんでもじゃあかん訳よ。神様はゲーテも言ってるが、少年の巻き毛を掴むかと思いきゃ、禿頭も鷲掴みするんだ。節操のないものが神様なんだなぁ。起きてしまった事はくよくよせず、気持ちを切り替えていくのが良い結果を生む。
神様は私をこよなく愛してはいるんだが、どうも私がせっかちなのには困っているようだ。
これ!と決めたらてこでも動かないんだから、呆れるしかあるめぇ。
災難もみな神様が私を愛するが故にと思っていた私は、そりゃ神様から見たら可愛いんだろうけど、毎回ハラハラドキドキの連続だろうな。そこのあなた、君だよ。君もさぞかし神様と同じ気持ちなんだろうね。
愛するが余りにそこら中にマーキングしまくってっから、どれが本物か分からなくなったんだよ。
世界の中心で愛を叫ぶのは大いに結構だが、私以外の人も勘違いを起こすんだよ。
愛の痕跡は消しておいてくれないと困るね。
あっちこっちに[俺の女]のマークが付いている。知ってんのは私だけだから良いのだが。
真っ昼間から69はないんでないの。
まっ気持ちも分からんでもない。恋する者は誰かに知らせたくなるんだ。
君が好きだぁー
叫びたくなる気持ちは良く分かった。私はその度に笑いを堪えるのに必死だ。
因みに君のひたむきな心に応える為に私がどんだけしんどい思いをしたか君は知ってるかな?
知らんだろうがぁ。君を私も愛している事を分かってもらいたかったんだけど。届いているかな?私の気持ちは。
景色の全てが愛する者の姿形に見えてしまうもんなんだ。
あな恐ろしや。
愛は疑う事を知らない。愛する者の全てを信じる。
因みに子供は親を信じて疑わない。親は自分を愛していると信じ込んだ結果は悲劇になる。親と言えど人間なのだ。
親離れはそう言う意味で大事だろう。
世の中を見て歩き様々な人に会うのがいい。その中から自分がいいと思うものを選択すべきなのだろう。こう言うのを美意識と言うんだなぁ。
親子と言えど他人なのだ。考え方や気持ちは異なる。正しい考えであったとしても受け入れられない場合もある。
似たもの同士なら反発もあるだろう。
自己確立とは自分で好きな自分になる事だと思う。ある程度血の繋がりがあり、覆せないものはあるにせよ。
親の嫌な面に対して反面教師的効果はある。親だから尊敬しなくてはならないなんて思い込まない事だ。
愛してはいるが、やはり別々の人格を持った人間なのだ。
もし、判断の全てを親なり愛する人に委ねるのならそれは自己責任の放棄にしかならないだろう。
愛する者の不幸を願う者はいない。悪い結果が出た時、えてして相手のせいにするのだが、よくよく考えてみると自分が早とちりをしている場合もある。
ただ、言える事は心から愛しているかどうかを問うべきだろう。揺るがぬものを感じたなら、自己反省が先なのではないだろうか。
私自身そのような類の過ちを多々犯してきた。その理由を考えると信じて疑う事をしなかったからだ。
もう一つ大切な事は自分自身の境界線をしっかり持っている事。例え愛する者との約束であっても越えてはならない一線をきっちり持つべきと私は思う。
それが相手をも守る事になるであろうし、私と言う人間を理解してもらう為でもある。


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