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携帯から書く日々ブログ
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私が好んで読んでいた本の主人公はみなコンプレックスあり、逆境ありだが逞しいんだな。
過酷な状況にありながらも優しい心を持ち続けていられる強さもある。愛されるならこんな人に愛されたい。
自分の心と会話する人、心の中には世界を映す鏡がある。鏡と言っても私たちが日常見る鏡では無く、心と言う鏡は泉のようなものだと思う。その深さは計り知れないほどの深みをたたえ、遠い日に見た景色が今でも泉から飛び出し、語る。
泉に蓄えられた記憶なのだろうか。何でも出てくる。何でもありの世界が心なんだな。
だからこそ美しくあらねばならないのかも知れない。
最近、見た目より心の美しい人に惹かれる。固定観念がない鏡は透き通った泉でもある。外の世界を取り込み、美しい模様を描く。そして儚く消えていく。
いつも感じていないと寂しくなる。
泉を見ているのは映画を見るように楽しい。私の泉から幻想が立ち上がり舞姫のようにしなやかに舞う。決して現実にはならないのだが、現実を生きる糧のように心を潤す。
今日、生きれるだけの食料があればそれ以上は望まないのがいい。欲望は鏡を曇らせてしまう。
今日を精一杯生きるから鏡は何時までも美しいままなんだとも思う。
自堕落になったら私が好きな泉は濁ってしまうんだろうな。私が一番最初に旅したのがこの泉だったのかも知れない。
暗い森の中にある泉には誰一人として訪ねてくる者はいない。辺りは梢に囲まれ時折、風が妖精のように舞う。
私が最初に聞いた言葉はこの泉のほとりだったのだろう。
誰も信じてはくれなかったが、ただ一人の人だけは笑顔で頷いていた。
語る人を失うのは寂しいもんだ。
この森の中に私は秘密の匂いを感じたんだ。誰にも言ってはならない秘密を。
言ったところで信じる者はただ一人の人だけなんだろう。
その秘密を知る者を私は探し歩いたように思う。これが真実なら私以外の誰かも聞いてるだろう。
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コンプレックスが程よい重石になっている人って魅力的だ。だって重石と言うくらいだから石の上に立てば空に近くなるじゃない。重石を除けようなんてしないで、その上に立って努力する人が素敵なんだ。努力家ってみんなコンプレックスを持ってると思う。鉢被り姫の話なんか面白いよね。
美しい顔なんだけどお姫様は自分が醜いから鉢を被っているんだと思い込んでいたんだ。人間は自惚れたらおしまいだってことだなぁ。
どんなに優れた人でも日々を努力もせず生きる人は退屈な人になってしまう。どんな美人でも飽きるんだよ。
毎日新鮮な人は日々発見の連続だから素敵なんだ。そう言う人は幸せを探すのがうまいんだよ。
せっかく生まれてきたんだから、いっぱい素敵なことを探してみたいと思う。
食事ひとつとっても工夫ひとつで楽しくなる。
私はそう言うのが好きだ。
子供が小さい時、毎回食卓だと飽きてくるから、ベランダで食事したりしたもんだ。一番の幸せは、雨の音を聞きながら子供たちに本を読んであげていた時間かな。雨が降ると嬉しくて子供に[本持っておいで]と言ったのを覚えているかな?忘れてんだろうね。下の子は一番分厚い本を持ってくる。その理由はたくさん読んで貰えるからだが、全部と言う訳には行かず[今日はここまでね]だったけど。
三匹のガラガラドーンが好きだったんだよね。
素敵な時間があったんだよ。受け取り方は違うかも知れないし、いい思い出ばかりじゃないかも知れないけど、嫌なことはちょっと片隅に置いといて幸せを探してみたい。
自分をとってみてもいいところばかりじゃないんだなぁ。何もかもに満足してる人はいないと思う。でも不平不満を言う人はキライだ。それだけで十分不幸になれる。自分から進んで不幸を選ぶなんて馬鹿げている。
いいとこ探しをしなきゃね。
最近は不幸探しの人は無視することにしている。人間も植物と同じかも知れないね。太陽に向かってる花は笑顔なんだ。どんなに凄いコンプレックスも笑顔と言う花には勝てはしないと思う。笑顔で頑張っていたらコンプレックスが個性に変わるのかも知れない。案外、コンプレックスは個性への道なのかもよ。
私なんか若い頃から[個性的だね]ってよく言われたもんだ。個性的と言った方が傷つけずに済むからでもあるが、せっかくだから本物の個性を手に入れたらいい訳よ。
自慢じゃないが私は不細工な部類に入ると自負している。ただでさえ不細工なのにブスッとしていたら救いようがない。今だから言えるんだが、どんな美人でも心根の優しい人には勝てはしないんだよ。最近は整形が手軽になっているから、美人になりたかったら手っ取り早く出来る。でも内面の美しさや充実感は生き様なんだよね。
そう言うのは容易くは手に入らないんだ。時は金なりって言うじゃない。
いっぱいの思いを心に秘めてる人は強いんだね。溢れるくらいの気持ちを秘め、冷静な人は素敵だ。サライとのこと日記に記していて良かった。せっかちな私のことだから、すぐ忘れちゃう。
サライの店に知り合いの男性が来ていた。彼は面白い人だ。私が[あ~!]と指差したら、口元に指を持って来て[内緒だよ]の合図していた。私のこと[君18才みたい]と言った人だ。
私のこと完璧に子供扱いしてる。多分、優しい人だよ。何となく分かるんだ。寂しがり屋は私を子供扱いするから。
私もそう言う人の気持ちが分かるから、程よく甘えるのがいいんだ。
私も寂しがり屋だ。優しい人を見つけてはチョコチョコ付いて歩く。サライは私が寂しがり屋だって知っていて意地悪するよね。
[寂しいよー]って言ったら[もっと寂しくなれ!]って思ってんだろう?残念でした。適当に寂しさは紛らわすのも私なんだ。紛らわしてるうちに[私好きな人出来た]も私だ。
しかし、日記読み返していたら、そんな気がなくなる。
サライの気持ちが笑いたくなるくらいおかしくて、楽しくなる。絶対、言葉にはしないんだよね。
黙って背中だけ見せたり、目の前にすっとぼけた顔で立ったり。
新坂だよ、それって。背中って素敵だね。正面から見るより背中の方が気持ちが伝わってくる。サライと新坂は背中が語るタイプなんだ。
要するに姿勢で生き様を見せるタイプちゅうことだ。
[し~!]の彼はまた違うタイプの人だから、寂しい時に会うのがいい。
サライや新坂のように溢れる思いがない人は気楽に付き合える。全部、冗談で済ませられるからなんだ。真剣は嬉しいけど疲れる時もある。本音は楽しいことばかりじゃないのが人生だが、たまには息抜きもなきゃ、身が持たないんだ。
その辺りの分別はつくようになった訳だ。大切な人は不思議だ。忘れていても、思い出す時は胸を締め付けられるように思い出してしまう。
私は肩に手を回す人がキライだ。さっと抱きしめる程度なら許せるのだが、肩に手を回しているアベックを見ると暑苦しくさえ感じる。二人三脚じゃあるまいし。新坂が今でも懐かしいのは私がキライなことを理解していたからだと思う。
一緒に肩を組んで歩きたかったかもと、ふっと思う。私はそう言うのがキライでいつも離れて歩いていたように思う。
さりげなく背中に手を差し出し(まんが、おいで…)無言で気持ちを表す人だった。心が豊かでないと出来ないんだよね。会話らしきものはさして無かったんだが、言葉以上に多くを語る人でもあった。なんだろうね、側にいて居心地のいい人がいる。
記憶に残っている新坂の言葉はいつまでたっても色褪せることなく、優しく語りかける。(まんが…)私が理解しなかった部分に新坂の本当の思いがあったんだろうなぁ。
横断歩道ですれ違った時も、無言だった。[新坂、私好きな人が出来た]と伝えた時もだ。優しさはいつも無言の彼方にあった。
人前でいちゃつくのがキライなんだ。いまでもさりげない優しさに惹かれる。
さりげないにも限度があるけどね。
相手を理解し過ぎるのも考えものだ。
私の性格と似ていたんだと感じることがある。あの頃の私より少しは自分と言う存在に気付いていただけに思える。
双子では無かったが新坂は私の無意識でもあったのかも知れない。
逢いたい、たまらなく逢いたい。
[にいざかぁ!]まるで新坂の子供のようだったんだと思うことがある。
少しだけ大人?になった私を見て欲しかった。
どっちが先だったんだろう。新坂が私を育てた部分が記憶に残っている。
父性愛みたいなものを感じる時がある。有り得ない話だが、サライは新坂の子供かもと思ったことがある。新坂に子供がいたらサライくらいの年になってんだろうなぁ。
だったら笑うしかないんだが。サライの根っこの部分は新坂で枝葉は私に似てるんだ。
有り得ないけど、もしかしてなんて思うくらい似ている。
人を思いやるところとか、強引じゃないところとか。他にも似たところはあるんだけど。
分別を持った生き方なんかは新坂にソックリ。澄ました顔してスケベなところも似ている。
最後はおまけだよ。匂いに敏感なところもだなぁ。セックスの痕跡を残さず、すっとぼけた顔していた、と言うか、そう言う雰囲気を引きづらないところかな。私は店で会うサライが好きなんだ。すっとぼけた顔のサライが。
すっとぼけたことに関しては私の方が上手かも知れない。秘密が好きだから。サライと私だけの秘密は誰にも知らせたくないんだ。群集の中でサライと私は共犯者の気分になる。
厚かましい人だとこうは行かないんだなぁ。やたらベタベタして来たり、人前もはばからず匂わせるのってキライなんだ。
郷ひろみさんの声にぞっこんだ。15歳くらいから歌っているんだね。声に成長がハッキリ分かる人も珍しい。声だけで年齢が分かるような気がする。どの年代を取ってもそれなりに素敵だ。
郷ひろみさんは自分の成長の証を声にして残しているみたいだね。いろんな歌を聞きながら、過ぎ去った過去を何度も振り返る。
帰れはしないのだが優しい思い出は飽きることがなく、心を潤すのかも知れない。よく、初心に帰ってと言うが、やはり何かのきっかけなり手がかりは必要なんだろう。
音楽はそう言う意味の役目を果たしているのだと思う。しかし、私は郷ひろみさんのアイドル時代は全く知らないのだ。好きな曲は越路吹雪さんだったりする。越路吹雪さんも魂を感じれる歌い方だったんだが、私の心にはイマイチ届かず憧れに終わった感が無きにしもあらず。
越路さんは女そのものなんだが、郷ひろみさんはどっちでもないんだなぁ。
ただ寂しい魂を感じる人が郷ひろみさんなのかも知れない。窓辺のピンクの花はそよ風にフワフワと揺れるんだが、自分の居るべき場所をわきまえている。
いつでも爽やかな声でいるんだろうなぁ。魂が優れた人の声は美しいのだが、それだけではないのかも知れない。
様々な曲を聞き、過去の私の歴史を彷彿とさせる。無意識に過ごしていた時間にも私の魂の強い意志が働いていたのだと過去を愛おしく思う。過ちとして語れなかったことも許せるんだ。
言えることは[私は自分の心を偽らなかった]でしかない。
寂しいと言う思いも真実で、それだけで男と付き合ってきた。何時しか、満たされない自分を感じて新たな道に踏み出した時、私は自分が望んでいた生き方を見いだした。
私らしくが一番素敵で誰からでも愛されていたのだと。
今だから言えることがある。一番素敵なことは[心が美しいことなんだ]と。
誤魔化せない心がある。そう言うのを人は言霊とも言う。
郷ひろみさんの声を聞きながら人間が辿るべき道を再認識した気がする。
今、私が一番好きな曲は[素敵にシンデレラ、コンプレックス]
私にコンプレックスが無かったら、私は違う人生を歩いていただろう。さしずめ一番好きな人と結婚し、平和に暮らしていたかも知れない。


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