携帯から書く日々ブログ
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自分に価値がないから肩書きに拘ったり社会的地位に縛られてしまうのだ。
仕事場で[私はあなたに気を使っているのではない!スタッフ同士がギクシャクしていたら弱い立場の人が気分を悪くするからだ]スパッと放って、後は野となれ山となれ!だ。 集団に入ると必ずと言っていいほどボス猿がいる。自分に素直に従うのは素直な人だと言う愚かな考えの持ち主は猿山のボスだ。人が従いたくなる人間性を獲得してからだろうが。誰が猿に従うかってんだ…とここまでかまして心の中で以前に勤めていた病院にいた山名さんや田畑さんを思い出し祈っていた(私を守って…) 山名さんも田畑さんも今頃は天国なんだろうなぁ。夢で橋を渡ろうとしたら財布に意識がゆき、結局、橋は渡らなかったんだと思う。 夢の中で田畑さんや山名さんが私を守ってくれたのかな。 今の施設にも山名さんに似た人がいるよ。目がとっても綺麗でね、まるで天使みたいだ。子供の天真爛漫さとはまた違うのだと思う。潔く生きてきた証が顔や仕草に残っている。 散り際の美しい花は咲き誇った証みたいなもんだよ。 思い出がいっぱい詰まった子供がいる。山名さん、田畑さん、二人とも私の笑顔と穏やかさが好きだったんだよね。だから天国から私を守っていて…私が愛されたのはこの負けず嫌いな性格から生まれた笑顔なんだなぁと感じている。 可哀想な子…私を哀れむ資格はてめぇらにはないんだ。 PR
芸術家は家族を不幸にする…サライの言葉なんだが、多分ね自分が幸せでないからなんだ。
昔のCMで[幸せってなんだっけ、なんだっけキッコーマンのある家さ]ってのがあってね、それ作った人、自分が幸せでないのに幸せの歌なんか作れないって言って死んじゃった。正直な人なんだなぁと思ったんだ。私はこの世界を見ているだけで関わっている気はないんだ。だからかな、何とか生き長らえているようなところがある。どぶ川に浸かる気にはならない。最近、私も思うよ。サライと同じで有名になったり何かになるのもいいけど、愛する人と一緒が一番の幸せなんだと…サライに逢うまで忘れていた。 私はそれだけを探して来たたのにいつの間にか道を外れていた。愛されたいって言葉にするのが恥ずかしくなっていたのかも知れない。 サライの素直な思いに触れて気がついた。多分、新坂と居た頃の私はそう言う素直さがあったんだと思う。 芸術家になるより芸術そのものになるのがいいね。世界に一人しかいない人間になるのがいい。 [君は僕だけの人なんだ…僕だけのために生まれて来たんだ]サライの側にいたらそんな呟きが聞こえてきていた。 それは私にではないのかも知れないのだが、サライがそう言う人を探しているのだけは伝わっていた。(愛の妖精)をね。愛にもいろいろあるから、愛の形みたいなものかな。それがうまく噛み合わないんだ。 サライに会ってから次第に自分が見えてきた。人に逢う度にサライとは違うんだなぁとしか思わなくなっている。 何が違うのかは薄々分かっているのだが、とても単純なことなのにいないんだね。ただ、心の美しい人、それだけの願いなのにいない。 ぐるぐる回って結局サライのところに帰って来て、何でサライなんだろうとか考えるのだが、理由も何も見つからず、考えるのを止めてしまう。 理屈が通じない気持ちかな。サライのような心を持った人間はいない。それが結論。どこにでもいそうな気がするのにいない。 心の美しい人を探すのがこんなに大変なことなんだとは思わなかった。何故、サライがそれを保持できたのかもだ。 仕事場でサライを思う心で接すると伝わるんだ。その度に心が美しいことは装飾品を身に付けるより素晴らしいのだと思う。 サライ、私やはり後悔している。言い訳をする気にはならないけど、サライの前で他の人と親しげにするべきではなかったんだと。 孤独な人が人一倍独占的が強く、失うことを何より恐れているのだと認識すべきだった。 多分、もう誰も愛せない。サライを愛したようには愛せない。諦めるしかないのだと思うと死んでしまいたくなる。 求める人の気持ちは切ないほど感じている。だけどサライとは違う。気の多い私にとってサライは神様がくれた船の錨みたいなもんかな。 孤独な人にしか与えられない最高の運命があるのだと思う。それはサライや新坂、石川さんに巡り会えた幸せだ。 幸せって何だっけ!何だっけ! 君に出会えたってことさ。 神様が与えた才能があるなら、それは独り占めにしてはいけないのだと思っている。多くのアーティストが最後に人々に分け与えるのは極自然な成り行きなんだ。
いい加減な野郎だから何言っても構わない、ちゅうか、まともなアドバイスなんてのは期待もしていない。
そいつに[死にたい…]と真剣な眼差しで言ったら案の定ふざけた返事が返ってきた。これは予定通りの解答で納得した。死にたいなんて人に相談されても私だって困る。 私なら[背中を押して差し上げます]としか言わないかも…結局、笑い話のジョークで終わるはずだったんだが、向かい側にいた馬鹿おんなが[それじゃアドバイスにはなっていない] 頭の悪そうな女で[私は忙しいから、そんなこと考える暇がない]そうだ。あれこれと多忙な日々を過ごしている様子。嫌みに言ってやった[欲望は生きるエネルギーになる]とね。 物欲があった頃は取りあえず鼻先に人参ぶら下げられ走りまくった。あの頃は経済に大いに貢献もした。振り返ると馬鹿らしくなった。 騙されたような気分。世の中は誤魔化しで成り立ってるんだなぁ、が私の感想。ほんららば、世の中に騙されるより自分で自分を騙した方がよかばい。で、私が蔑んでいる世の中から認められても嬉しかない。気分がクシャクシャしていた。理由はサライだ。 おめぇが全部悪い!人間の魅力にはかなわないんだと思った。愛は世界を救うかも知れないが滅ぼしもするんだ。 私が築いてきた自己満足の世界をあのクソがきは簡単に滅ぼしやがった。恋は革命である、が私の悟り。 区画整理された脳みそがぐちゃぐちゃにされた気分。 でも、いいんだ。私、お国のため!に死ぬ気はないから。 騙されるなら自分で自分を騙す。サライはその為に神様が派遣したのかも…と私は思っている。 この現実を愛せない私に[こんな可愛い子がいるんだよ]って。 心が望むものを見つけたら全てが色褪せて見える。まばゆい太陽を見るのと同じで、暫くは辺りが見えなくなるんだが、見慣れたものが姿を変えていくのかも知れない。 命短し恋せよ乙女…若いうちにたくさんの恋をして欲しい。恋でなくてもいいから、好奇心を持って歩いて…私はドツボにはまった。 若い子の弾けるような肉体は素敵だ。 ねぇ私を食べて… 新坂!旨かったかぁ!記憶にないのだが新坂でよかった。 時をさかのぼる魚になりたい。 好きな人がいるの…サライだけは幻想じゃなくて実在している。切なく美しい存在がここにはある。
宇宙語は意味などないんじゃ!以心伝心と言って、要するにリズムみたいなもんだな。作詞に曲を付ける時に詩のイメージをつかんで引っ付けるんだと思う。
上手い作曲家だと詩を読まなくても音だけで意味が伝わってくる。 [君の言うことは冗談か本気か分からない]とはよく言われたんだが、愉しかったらいいんでないの。先日、娘がやってきて音楽を聞いていたら、その音楽を作った人だかなんだか知らんが、ゲイだったと言う話が出て、相手は男でも女でも構わなかったそうな。私、この感覚分かる。側にいて居心地のいい人なら男女を問わない。ゲーテにはエッカマンがいた。肉体関係こそなかった(…と思うのだが)エッカマンはゲーテが内的世界を散歩するには最適の恋人だったのかも知れない。 桑田佳祐の唄で[気分次第で責めないで]だったかな?そう言うのがあるんだが、気分次第で世界は変わるんだ。現実はなかなか変わらなくても、その糞現実さえも笑い飛ばせるようになる。嫌な気分で責められたら逃げる、が私なんだ。 鬱陶しい気分からジャンプして夢の世界へまっしぐら。だから、私は一人芝居でパントマイムとか言われるんだろう。退屈な人といるより一人でいる方が楽しい時がある。なんて表現したらいいのか分からないのだが、ただでさえ鬱陶しい現実に生きているんだ。気分だけでも夢をみたい。 意味なんて無くていいの!楽しい?お~そりゃけっこうなこった!だ。 不機嫌な時は思い切りなじりあえばいい。愚痴は嫌いだけどなじるのは気分がいい。 どうぞ、私も思う存分になじって楽しんで下さい!だ。持ちつ持たれつってこう言うことを言うんだ。物を頂くより、気分よくさせていただける方の方がいい。但し、機嫌取られて喜ぶ輩は嫌い! 適当にメチャクチャ言って、あ~スッキリした、で済んだらけっこうなこっちゃ。 欲求不満は便秘に似ている。下痢も困るのだが、出し易く形よくでるうんこは芸術じゃ! しかしな、これ、簡単なようで難しいでんねん。性格が悪いと冗談にはならない。性格の悪い相手には嫌みになるだけ…要するに相手次第だなぁ、やっぱ! 邪心のないのはガキだけ。邪心を感じさせずサラリと流れる小川のせせらぎになるには達人の域にならねばならん。こう言う奴はくせ者だ。油断しているとえらい目に合う。
マザー、あなたはご自身を客観視していたのだろうか。
今、目の前に苦しんでいる人がいるその時に冷静に考える暇はあったのだろうか。あなたなら考えたり客観視する必要はなかったのではないのですか。 客観視せずとも自ずと必要を成したのではないのですか。 多分、私が客観視する人間ならもっと容易く生きてこれたのでしょう。 世界を変えることはできません。何かが間違っているのだとは感じていても世界を変えることは困難です。 マザーあなたの遅々な歩みこそが世界を変えるのだと思います。でも私はあなたほどには貧しい者や苦しむ者の身にはなれないのです。 人間としての私のただ一つの願いが叶えられないが故に私は私を救うように人々を愛するしか無かったのです。 マザーあなたのようにはなれません。 引き裂かれた痛みを癒やすためにでしかないのです。 自分に望んだものはただ一つでした。(心から愛されたい) みんな、私と同じことを願っています。そして、誰も他人を心から愛したりはしない。 たまに、私はおかしくてたまらなくなります。一方通行の願いを抱く人の心を滑稽だと思うのです。他人を思いやる人としか私は通じない。後の人に対しては人間としての義務だけのようです。自分のことしか考えない人も地獄の苦しみには耐えられるものではありません。自業自得だと思うこともあります。けれどすがりつく人を突き放すことも出来ない。 悪魔になりたい… なれない苦しみがあります。 愛のない不毛の大地に生まれた私の中には愛に飢えた人が住んでいるのです。多分、私のプライドもあるのでしょう。 乞食にはなりたくないと言うプライドです。人に求めるしか出来ない乞食にはなりたくはない。私にはまだ与えることも出来るのです。 (私にお恵みを) どうか、私を乞食にはしないで下さい。(私を愛して下さい)と懇願するのはとても悲しい。 潔く死んでいく覚悟を持った人は私に求めたりはしていないのです。そのいさぎよさが美しいだけです。 乞食になりたくないと思う私の心と似ているから愛する。人は自分を愛するようにしか他人も愛せないだろうし、憐れみから愛するのでは無意味だからです。 自分を卑しめてまで愛そうとは思いません。 うん。私が客観視の出来る人間だったんなら馬鹿男とは一緒にもならなかったんだがなぁ。私の最大の後悔はこれに尽きる。大体好きでもない男と結婚するか!なんだよね。 [おまえは男に惚れる女じゃない。才能に惚れる女だ] [おまえは男に挫折を与える] いっぱいありまっせ!空虚と汚れなき心は似ている。無関心と寛大もね。自由と自分勝手。いろいろあるけど中身を見てから買えよな。 天と地の開きがあるのだが、そもそも地球は丸くてどこが天だか地だか分からなかったんだと思う。強いて言うならば、一緒に生きましょうと、一緒に死にましょうの違いかな。 いつか死ぬんだがその前に生きなきゃならんじゃろうが、ボケ男よぉ! あ~すーとした。 私はやはりマザーのようにはなれない。嫌いなものは嫌いでいい。 追加!この馬鹿男は私に[最後の親孝行がしたいから、親に会ってくれ]って言ったんだが私は結婚する気は無かった。無意識の中で嫌悪感を抱いていたのは事実だ。この馬鹿男に対する嫌悪感は私自身に抱いていたものと同じだった。自己嫌悪だから、自分が努力しなきゃ脱却は不可能でごじゃる。目の前に鏡をおきながら(こうはなりたくない)猛烈な反発精神が憎しみの炎を燃やす。やっぱ、自業自得だな。 持って生まれた私の反骨精神だか反発精神だかしらんが、嫌いなものをはねつける力だけは地獄の閻魔様も負けるんじゃ。自分を客観視するのは良いが自虐的になるとよくないよ。自虐ネタにとどめておいたら、使い道もある。 この感覚は自分のことなんだが、他人ごとのように眺めるってとこかな。大概、私はドツボにはまってからしか客観視はしないタイプなんだ。あ~またはまってらぁなんだよね。目はいいんだが、ブレーキが付いていない。うりや~とばかりに寂しさや悲しみを投げ飛ばして生きて来たんだから仕方ないだろうね。 逃げれる時はひたすら逃げ、アカンと思ったらちゃぶ台がえしが出る。物事には裏表があって表が駄目なら裏に回る。裏も駄目なら天によじ登る。最後は神頼みの心境かな。 メランコリー気質に打ち勝つにゃ体力がなきゃめげる。 人には性格の癖がある。マザーのように苦しむ姿に胸を痛める人あらば、苦しむ人を見てほくそ笑む人もいる。 人間の中には悪魔と神と天使、他にもごちゃごちゃいるんだが、中心人格がしっかりしていれば、それぞれに出番は回ってくるもんだ。 様々な要素を人間は備えているのだが、出番がなかったり排除されたりすると多様性が薄れていくのだと思う。自己管理とは肉体のみではなく、人間らしさを失わないユーモラスな存在であるがための日々の過ごし方も考慮した方がいい。 私は退屈な人間が最も被害を与えるのだと思うのだ。人畜無害、どうでもいい人。存在しないに等しいのが悲しい。 私はストレス解消にむちゃくちゃな日本語を吠えるのだが、そこに意味はない。ただ、吠えたかっただけ。 う~野生の血が疼くってとこだ。 |
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